これが“歌”というものだ!

 1963年のワシントン大行進で、マーティン・ルーサー・キングJr.牧師の歴史的演説「I have a dream」がなされる直前に20万人の群集を前に歌ったマヘリア・ジャクソン。今でこそ“ゴスペルの女王”と呼ばれますが、その実は“不世出のゴスペル・シンガー”などというのもおこがましい程、名実共にマヘリアを越えて輝く存在は現れていません。いまだにマヘリア・ジャクソンは孤高の存在であり、その歌の力は絶大な説得力があります。要するにスゴいヤツなのです。

 このアルバムはマヘリア・ジャクソンの1962年発表のクリスマス・アルバムです。私はあまり詳しくはないのですが、聞くところによると2枚目(??)のクリスマス・アルバムだとか。有名な話として、不治の病に冒されて自らの足で立つことができなかった青年が、この作品の前に発表していたシングル「きよしこの夜」(1950年代に録音したもの)をラジオで聞いて大感動した直後、立って歩けるようになって、後日マヘリアのコンサートに謝辞を述べに出向いたという奇跡の逸話さえあります。一方、この1962年のアルバム『きよしこの夜(Silent Night)』がヒットしたお陰で、この後に3枚目となる『Christmas with Mahalia Jackson』というアルバムも出しています。

 父はこのレコードについて、私が子供の頃からずっと同じことを言い続けていました。死ぬまで言っていたのですから大したモノです。

「これを聞け! これが“歌”というものだ!」


 まだ小学生か中学生の私としては・・・それでは聞いてみましょ、デブっちょのオバチャンの歌かぁ〜・・・・なんかお説教されてるみたいにスゴくコワイんですけど・・・・これが幼い頃の私の最初の印象でした。もはや最初の名曲「スウィート・リトル・ジーザス・ボーイ」で、良い意味でも悪い意味でもストレートにパンチくらって、「もろびとこぞりて」あたりで既にKOされてしまったのです。うわー、こりゃー大変だ。

 それでもレコードB面の最後に差し掛かって「山の上で告げよ(Go,Tell It On The Mountain)」で救われました。おぉ、正にゴスペルだっ!いいっ! といった感じのこの曲で目が覚めたものの、最後に超スローで歌う「きよしこの夜」でまたKOですよ。

 サァァァ〜イレン、ナハァイィイィイィィ〜

 父は「これ、聞いたか?聞いたか?」と聞いてくるので、「聞きました」と返答したのですが、そしたら・・・・

どうだ、スゴいだろー?こんなサイレントナイト、聞いたことないだろう?

サァァァ〜イレン、ナハァイィイィイィィ〜、ホォォォォォオリィ〜、ナハァイィイィイィィ〜♪

 …と歌マネまでするワケです。マヘリア・ジャクソンや、このレコードの話になると、毎回これをやりました。よっぽど好きなんだなー。

 で、何故マへリアはこんな風に歌うのかと素直に聞きましたら、「これはマヘリアのサイレントナイトなんだ。彼女自身の人生で培ったこの曲への思いと神への讃美が、結果的にこういう解釈になったんだ」 と。

 それで、この地を這うように歌うのに違和感を覚える、と(いうような意味のことを)言いましたら、「それじゃぁ歌ってごらん。今教会で歌われてるサイレントナイトは原曲よりもシンプルに修正されているらしいんだけど、だからなのか、歌詞を聞き手に伝えるために歌おうとすると異様に難しいんだ。ただただキレイにまとまってしまうんだよ」 と。

 そして色々な歌手のその曲を例に出して話するうち、「どれ聞いてもあんまり変わらないだろう?」 と。「普通、クリスマスレコードの中で一番の目玉なんだけどね。」と答えましたら、「どれもバックのアレンジに頼っている部分があるとは思わないか?歌唱そのものは何故か独自性が薄くなっているんだよ、誰でも。不思議だろう?」

 それだけ歌うのに難しい曲って事なのか? それとも大勢の人が思うこの曲のイメージがこれなのかなと問いましたら、

 サイレントナイトほど、その人の信仰歴を映すものはないだろうな。マヘリアの場合、これは明らかに信仰告白だとボクは感じるんだよ。神に生かされていることの喜びと感謝、イエス・キリストの道を歩んできた人生、歌を歌える楽しみと喜び、それら全てが信仰の証となってこの歌い方なった・・・というか、これは歌っているというより、本当にマヘリアの証(あかし)だよ。ボクら聖公会で言えば“説教”に近い語り口調に聞こえないか?

 なるほど、語り口調というのは判りやすい。

 マヘリアの歌はヘヴィーメタルにさえ勝る

 端的に言って、マヘリアの歌はとにかく歌声にパワーがあります。しかも全体的にゆったりと、英語の一言一言が判るハッキリしたイントネーション。ダイナミックレンジの広い声。しかもこのアルバムでは、バック・オケはひたすら淡々として決して盛り上がらず、マヘリアの声だけが全ての歌をドラマティックに演出しています。威圧感にも似たパワー・・・こういうのを“圧倒的”というのだな、と。後にハードロック/ヘヴィ・メタルを聞き始めてギャ〜スカ言う攻撃的なシャウト・ボーカルを聞いても、マヘリアの歌のコワいぐらいのパワーにはかないませんでした。聞いていて震えがくる歌、というのが正しい。

 そして父曰く、「このゴスペル歌手は伝道師でもあるんだ。Gospelとは福音書の意味。イエス・キリストの福音を述べ伝える歌ということだ。自分の信仰を全身全霊で歌い、神の栄光と救いの喜びを伝えるんだ。」 と続けます。私が「でもなんかコワイんですけど」と言うと…

(笑)。それが“シビレる”ってことだ。



 …ふーむふむ。

 毎年、アドベント(12月25日までの4週間)の時期になると、本当に時たまこのアルバムが家に流れていましたが、1枚しかないレコードをプレイヤーにかけて家族中で聞くことは滅多になかったと記憶しています。

 マヘリアはジャズシンガー?

 そもそもこのレコードは、両親の思い出の品だとのこと。作曲家・宮崎尚志(父)と歌手・中野慶子(母)が婚約中だった1963年頃に、東京・有楽町のアメリカン・ファーマシーで購入した輸入盤でした。

 米国で1962年末発表のこのアルバムを、日本で翌年1963年に手に入れられたというのはラッキーだったと考えられます。現在のように海外のレコードが素早く日本盤として発売されることはなかった1960年代初頭、名作といわれる洋楽レコードでもかなりの時期を置いて日本で紹介されるのが普通でしたし(ヘンな例えですが英国のキング・クリムゾンは3枚目のアルバムを出した頃に初めて日本で紹介されたようで、その間は2年近くありました)、輸入盤というものは大変高価で(1ドル=360円ですから)、手軽に手に入らなかった時代です。しかも“ゴスペル”という言葉は日本で一般化していなかった時代でもあります。ですから父がマヘリア・ジャクソンをいつ、どこで知ったのかは結局判らないのですが多分、映画『真夏の夜のジャズ』あたりではないかと推測します。

 1958年のニューポート・ジャズ・フェスティバルの模様と共に、当時のアメリカの様子を写した文化記録映画として再認識されるべき『真夏の夜のジャズ』の公開で、マヘリア・ジャクソンの圧倒的な歌唱は日本に於いて多くの熱烈ファンを生みだしたといわれます。ジャズ好きの父がこの映画を知らないハズありません。

 ただ、ゴスペルという言葉が日本になかった時代、マヘリアの歌う歌は“黒人霊歌(ニグロ・スピリチュアル)”と呼ばれたものの、映画のお陰で超大物ジャズ・シンガーという見解もあったようです。ですから父はマヘリア・ジャクソン=ジャズシンガーと捉えていたのかもしれません。

 更に“クリスマス・アルバム”です。今でこそ季節的企画盤(年末商戦)の代表格であるクリスマス・アルバムですが、1980年代までの世界のキリスト教諸国では国民的人気を博すに至った歌手、若しくは演奏家がファンへのクリスマス・プレゼントとして製作する特別なものでした。実際、世界的に知られているクリスマスソングのほとんどが讃美歌(礼拝では普通に歌われるもの)であり、キリスト教信徒にとって馴染み深い歌を公に歌うということもさることながら、アドベント時期のみの期間限定モノですのでセールスの面から言えば発売前予約の時点でゴールドディスクが取れるほどの大物でない限り製作するにはリスクが大きい、という諸々の事情が幾多にも重なっていたと考えられます。ですから多くの歴史的アーティストでも世に送ったクリスマスのアルバムは僅か1枚(ビートルズのメンバーですらシングルのみの発表)ということが多く、いつしか世の中では「クリスマス・アルバムを発表できるのは大スターの証である」となりました。しかもそれを2枚、3枚と発表していたならば人気不動のスーパースターといって構わないでしょう。

 歌は、人の人生をも変える程のものでなければならない

 私はつい先日、母=中野慶子にこのアルバムを買った当時の話を聞き、以下インタビュー形式でまとめました。ここでは母のことを“マミー”と呼んでいますが、これは内々の最近の愛称です。文中の“パパ”とは宮崎尚志のことです。

道 : マミーはマヘリア・ジャクソンについて知っていたの?

慶子: 全然知らなかったの。アメリカン・ファーマシーでパパがこれ見つけて「あっ、あった〜!」って驚いてて。

道 : パパから説明された?

慶子: いっぱい喋ってくれたと思うんだけど、ダメね〜、全然覚えてない。

道 : レコードはパパからマミーにプレゼントされたんじゃないの?

慶子: これは私達が一緒に買った最初のもので、私達夫婦の思い出の品なのね。でもパパは買ったら持って帰っちゃった

道 : なんか勝手だなぁ〜。

慶子: 当時の私のアパートにはLPレコードがかかるステレオってなかったからね。

道 : で、聞いてみてどう思った?

慶子: パパはもう感動しちゃって大変だったんだけど、私は最初はサッパリ理解できなかった。

道 : 感動を一緒に分かち合えなかった?

慶子: いえ、歌手・中野慶子としては、マヘリアみたいに歌ってって要求されても、とてもこんな風に歌えるワケがない!って最初に思ったの。

道 : そりゃーマネできないよね。

慶子: パパはこれを私に聞かせたのは、歌はこういうふうに歌うもんだって言いたかったのよ。マヘリアは一言一言噛みしめて自分の中で消化して、そして全身全霊で歌にする。それが歌を歌うってこと、歌に込められたメッセージや心情、情景を伝えることだって。

道 : 歌手・中野慶子の歌心を、もっと心の深いところから出せるようにって考えた?

慶子: 歌の深みよね。

道 : で、マヘリアの歌についてパパの言うところは、その後すぐに理解できた?

慶子: それが30年もかかってやっと少しわかったかなってとこかな、正直言うと。

道 : ひぇぇぇ〜、そうなのかぁ〜。

慶子: パパはよく、「歌っていうものは、それを聴いた人の人生を変えるほどのものでなくちゃいけない」って言ってたのよ。だからどんな歌手でも、そういう歌を追求しなくちゃね。

道 : 音楽の作り手側にしても同じ事が言えるね。

慶子: マヘリア・ジャクソンの歌を聴く度に思うわね。

 尚志のフェイバリット・クリスマス・アルバム

 このアルバムが1990年代初頭に日本でもCD化された折、父はやはり即座に購入してきました。タイトルは『マヘリア・ジャクソン:きよしこの夜』。「大事な思い出のレコードだけど、随分すり切れちゃって音が悪くなったから」 と、CD化を大変喜んだのですが、何故か自宅のステレオで大音量で聴かず、仕事場のラジカセでひっそりと聴いてビックリしておりました。「これ、オケがステレオになってんだよ!どういうワケなのかなぁ〜、疑似ステレオに聞こえないんだよ。音のフォーカスがハッキリしてるし、レコードよりもっと聞き易くなった!」

 知り合いのベテラン・ミキサーさんにこの話をしましたところ、その方が言うにはどうやらこの時期、1950〜60年代のアルバムのCD復刻化に際し、原盤のモノラル音源を「最新の特殊な機材を使っているワケではなく、非常に原始的なやり方で」疑似ステレオ化していたことが判りました。当時はまだ“デジタル・リマスター”という言葉がなかった時代です。

【追記】(16/12/2014)
 後になって判った事だが、1960年前後のアメリカのメジャーな録音スタジオには3トラック・レコーダーがあり、オケや合唱に2トラック、メイン・ヴォーカルに1トラックを割り当ててライヴ一発録音、それをミックス・ダウンしていたらしい。当時のアメリカでのステレオ音響の考え方は、Left-Center-Rightの三点定位論が有力だったが故に、本作は最初からステレオ録音がなされていたと考えられる。CDではそのオリジナルの3トラックテープを“2ch(ステレオ)リミックス”したのだろう。事実、オルガンは左、ピアノは右奥、混声合唱は左右、マヘリアの魂の歌はセンターと、トータルサウンドはアンビエンスを含めてシームレスながらキッチリ割り振られている。


 実は父は、長い間ずっとマヘリア・ジャクソンのような精神性で歌う歌手を探していたようで、やっと「コイツはいい!」と太鼓判を押したのは“黒い宝石”ジェシー・ノーマンの『クリスマス・タイド』(キャロル・メドレー形式のソリスト/管弦楽/合唱のための組曲です)です。「マヘリア・ジャクソン以来、初めて心から感動する歌だ。マヘリアの後に続くのはジェシー・ノーマンだけだ!」 と。

 ジェシーの方はレーザーディスク(ビデオディスク)で購入、1990年代以降の我が家では、毎年クリスマスになるとジェシーが家中にガンガン流れたものです! 何故かマヘリアがガンガン流れることはありませんでしたが・・・。それはマヘリアの歌はイージーリスニング的に聞くことが出来ないので、一人で静かに聞き入るほうが良かったからでしょう。

 結局、父の生涯の愛聴クリスマス盤は、マヘリアの『Silent Night』、そしてジェシーの『クリスマス・タイド』となりました。この2枚は2002年12月19日、教鞭をとっていた多摩美術大学・視聴覚室での最終講義(補講)で、授業中でも構わず「クリスマス週間だから・・・」 と言って大音量で生徒に聞かせました(あ、小柳ゆきの歌も流してた)。このとき多摩美の学生さんで、この講義に出席なされた方々には思い出深いのではないかと思います。繰り返しかけていたマヘリアの「あぁベツレヘムよ」は、自ら機材選定して長年かけて作り上げた深い愛着のある多摩美・視聴覚教室との別れの曲となってしまいましたが。

 編集盤ってのは困る・・・


 最近、このCDを街のショップで探していても見あたらないので、インターネット・ショップの“Amazon”で邦題『きよしこの夜』を入力して検索してみたところ、こんな盤が検索されました(写真上を参照)。左のジャケットはマヘリアの3枚目『Christmas with Mahalia』、右は同じジャケ写真を使っているものの、レコードの内容(曲目)はマヘリアのクリスマス・コンピレーション…つまり編集盤ってヤツです。何てまぎらわしいことでしょう!

 尚、1962年の『きよしこの夜』に続いて(あーまぎらわしい。どのアルバムのことを指しているのか皆さんは判って下さいますか?)製作された『Christmas with Mahalia』は、ゴスペル・チャーチ然とした前作よりもずっと聞き易く仕上げています。選曲が白人プロテスタント教会っぽくなっているのも面白く、普通のクリスマス・アルバムとして聞けます。

 最近、歴史的なミュージシャンの録音をこのテの曖昧なコンピレーションで多数出しているという状況は、かなり目に余るモノがあります。年を追う毎にアルバムという形でまとめられ発表されたた楽曲・録音の意味を、レコード会社はもう少し“レコードは貴重品”という意識をもって、ベスト盤を安易に売って儲けようなんて考えないで欲しいものです(こればっかりは今も昔も変わりませんがね、商売ですから)。何故なら、40数年も前に私の両親が買ったたった1枚の『Silent Night』が、今でもウチの宝物でありつづけているのですから。個人にとってレコード(アルバム)というものは、実はそういうものだと思います。勿論、CDだって同じですよ。

 あ、個人的な余談ですが、10年前に輸入盤で買ったCDが、突然デジタル・ノイズだらけになって、聞けなくなってしまいました。盤面をクリーニングしても同じ。盤自体が劣化して、音が記録されたピットが一部歪んでしまったのかもしれません。CDって、やっぱり寿命があるんですね。大切にしなくちゃ。