はじめに

 このページは“宮崎尚志のレコード棚”をテーマに、作曲家=宮崎 道(尚志の次男)の責任編集で構成致しました。決して“お気に入りレコード紹介”ではなく、時にヘヴィーな内容になることを予めお断りしておきます。

 宮崎尚志が1枚のレコードを前に我が子と対話する中で、自らの音楽や録音芸術に対する見解、更には体験したこと、見聞きしたこと、楽器について、新しいサウンドへの追究等、多種多様に語られたNaoshismなエピソードの“記憶”を綴っています。


 イントロダクション〜前書き  (文・宮崎 道)

 このページは私、宮崎 道が書かせて頂きます。父のレコード棚にあったアルバムを中心に、父が語った多くの事柄を思いつくまま書き連ねていく趣向で不定期に進めるつもりです。どうぞお付き合い下さい。

 私達家族が東京に住んでいた頃、リビングルームに父のレコード棚はありまして、それは幾つものカラーボックスを横にして、天上まで堆く積み上げたモノでした。かなりの枚数があり、幼少の頃は「世界中のレコードがここにあるんじゃないか?」とマジで思っていたほどでした。小学生ぐらいまではこのレコード棚に激突することはあっても(??)、実際にレコードを取り出して聴くことはなく、そもそもリビングに鎮座していたTRIOの大きなステレオセット(何故かレコードプレーヤーだけPioneer、レコード針はSHUREと決まっていた)を触ることは父から禁止されていたのです。その替わり、父は1977年頃でしたか、子供達用にSONY“クロッコ(CROCCO)”という一体型ステレオ・セット、今で言うところのミニコンポを買ってくれました。ですが父の棚のレコード群はクロッコで聴くことは許されませんでした。聴くのであればTRIOのステレオで聴けというのです。父の思う「レコードを聴く」という行為は、自分が考えるものよりもずっと敷居が高く感じたものです。しかし父は決してオーディオ・マニアという程ではありませんでした。

 リビングのレコードプレーヤーを初めて扱う時、父からかなり厳しくレクチャーを受けまして、何度も叱られながら何とかステレオセットの全てをいじれるようになりました。それ以来、自分で買ってきたレコードでは飽きたらず、父のレコード棚にあったレコード群を片っ端から聴いていきました。その時初めて気付いたのは、キレイに整頓されていたものの、同じ棚にクラシック、ジャズ、ファンク、ロックが混在して並んでいた事です。しかも有名アーティストのアルバムが1枚だけあったとしても、一般に言われる代表作ではなく、殊更日本に於いては最もマイナーな過渡期のアルバムだったりして、普通のレコード・コレクションとしては妙に的が外れていました。

 判りにくい例えですが、スティーヴィー・ワンダーのアルバムが1枚だけありますが『シークレット・ライフ』です。エルトン・ジョンのアルバムが1枚だけありますが『マッドマン』です。ボブ・ディランのアルバムが1枚だけありますが『欲望』です。なんで『キー・オブ・ライフ』、『黄昏のレンガ路』、『ブロンド・オン・ブロンド』じゃないの?? そんな感じでした。

 その棚からレコードを引っぱり出して毎日のように聴いていると時折、父が「なんだ、懐かしいな。誰かラジオでも聴いてるのかと思ったよ。そのレコードいいだろ?最高だろ?」と話が弾むこともあれば、自分で買ったレコードなのに「あれ、これなんだっけ?」、「こんなのウチにあったっけ?」と全然覚えていないことも多々ありました。父にとってはレコードは常に新しいサウンドを追究する上での方向性を広げるためのものであって、「人が作った音楽を聴いて楽しむことはない」という決まり文句は父の口癖でした。

 そんな父のレコードは現在、倉庫の中です。久しぶりに引っぱり出してみましょう、父から聴いたいろいろな逸話も添えて。