はじめに

 宮崎尚志は終生“作曲家”でありましたが、約30年に渡って多摩芸術学園で講師を勤め、その後、多摩美術大学の非常勤教授(自ら“パートタイムのプロフェッサー”と言って人を笑わせていた)として教壇に立ち、「フィルム・ミュージック理論」を現場からダイレクトに教えていました。その最強の教材は、自らが音楽を手がけたCMフィルム。1970年代にビデオはなかったので、オリジナル・ネガ・フィルムからコピープリント(16mm)を作り、それらを使って後進の育成に励みました。

 教員同士の話の中で、多摩芸/多摩美大にプロ仕様のテレシネ装置が入ったんですヨ、と聞くやいなや、すぐに教材用CMフィルム全てをテレシネでビデオ化させています。残念なことにフィルムを教材として頻繁に映写したせいなのか、長年の保管状態が良くなかったのか、多くが激しく色褪せた状態でのビデオ化となってしまいました。それでも、これらフィルムに見られるのは、宮崎尚志が言うところの…

 その昔、コマーシャルは時代のファッショナブルをリードする尖兵であった

 たずさわるCMクリエータ達のイキイキとしたエネルギッシュな姿は、オピニオン・リーダーとしての誇りと希望にみちあふれたものであった。

 CMは人間が幸せに、勇気をもって生きる力を共有しようとの呼びかけであった。
(「CM理論・メモ」より)

 …を如実に証明するものであり、CMがまだ商品イメージ向上や販促のためだけでなく、クライアントやフィルムメイカー達によるメッセージ発信メディアとしての機能を持っていた事を示す貴重なものです。しかし様々な“権利”が絡んでいるCMフィルムは、よほどのことがない限りは再び見ることは叶わない、一種の“幻”の如きシロモノであることも確かです。

 よく「なつかCM」といわれる1960〜1970年代のTVコマーシャルですが、決してレトロなイメージでおじさん達がノスタルジーにひたれる作品ばかりではありません。映画でもTVドラマでもない独自の映像表現理論を持ったCMフィルムメーカー達の存在、そういったクリエイター達と好んでタッグを組んだ宮崎尚志のCMフィルムには、時代を超越する普遍性や閃きに溢れています。