時代をリードするサウンドの予感

 父のレコード棚のコレクションはなんかヘンだ・・・とは序文に書きましたが、同一アーティスト/グループのアルバムがほとんどありません。父はジョン・コルトレーンのサックスが大好きで、「コルトレーンを一度聞いてみろ、感動で心が震えるんだ!」と良く話していました。で、レコード棚を漁ってみると、肝心のコルトレーンが全然ない!たった1枚あったのは『コルトレーンズ・サウンド』というブっ飛びアルバム…私はこれで、コルトレーンに触れました…そんな感じでした。

 ですが珍しく、その活動を継続的に追って複数枚アルバムが揃っている特定のアーティスト/バンドというのがカウント・ベイシー、ハービー・ハンコック、アース・ウィンド&ファイアー、キング・クリムゾン、T-CONNECTIONでした。しかしどれもが偏っていて、なんでこんなコレクションなの?みたいな感じですが…。

 それでも今回取り上げるハービー・ハンコックはかなり充実しており、私はレコードで存分に楽しみました。しかしハービーのレコード・コレクションのトップを飾るのはこの『ヘッドハンターズ』であり、『処女航海』や『スピーク・ライク・ア・チャイルド』といったモダンジャズのスタンダードといわれるアルバムは1枚もありません。ハービーがマイルス・デイヴィスのバンドを離れた後ファンクに目覚めて、突如エレクトリック・ファンク・ジャズを開始した時からレコードコレクションが始まっています。しかも気まぐれに出していたアコースティック・ピアノ・アルバムなどには目もくれず、エレクトリック・ファンク・ジャズのアルバムだけを揃えた感じでした。実は作曲家=宮崎尚志にとって、ハービー・ハンコックはアメリカの未来のミュージックシーンへの水先案内人と映っていたようで、常に目を光らせていたアーティストでした。即ち、後に“ブラック・コンテンポラリー”と呼ばれた音楽が1970年代を代表するサウンドになると見ていたワケです。

 きっかけは“ポールさん

 このアルバムの不思議なジャケットは長い間、父の仕事部屋に飾られていました。カブト虫みたいに見えて、子供心に気味悪く思ったもので、私にとっては印象が著しく悪かった1枚です。しかし『ヘッドハンターズ』の頃のハービーのアルバムはどれも不気味イラストで、その後の『スラスト(突撃)』も『マン・チャイルド』もどうも聞く気がしませんでした。

 1980年代初頭、父は東京・青山こどもの城(http://www.kodomono-shiro.or.jp/)のビデオ・ライブラリーの音楽の仕事で、1つのテーマ曲を実に面白く、様々にヴァリエーションしてみせる映像作品「まちは音楽だ!」(NHK「なかよしリズム」等で長年仕事を共にした細野高裕さん=のぶちんらが出演)を作曲した折り、プロダクション・サイドからある黒人ミュージシャンの即興演奏を入れて欲しいとの要望がありました。台所や風呂場にあるものを鳴らして演奏したり、街に繰り出してスティックで鳴らし回ったりする風景が映し出されるそのコーナーには、父は音楽的にも製作にもノー・タッチでした。



 ビデオが完成し、父の召集もあって家族全員で揃って見ました。父も指揮者として映っていたスタジオ・オーケストラと和楽器とのコラボレーションが終わった後、“ポールさん”と呼ばれる丸々と太った陽気な黒人のオッサンが、なんか楽しそうに、まるで調子っぱずれな演奏をし始めました。これを見て兄弟3人で「なんだこりゃー!」とか言って爆笑しておりましたら、父がすかさず…

 「この人はポール・ジャクソンって言って、物凄い腕のベーシストなんだ。以前はハービー・ハンコックとずっと一緒にやってて、この人が演奏しているハンコックのレコードならウチにいっぱいあるぞ!!」

 …と言うのです。ならば、何故この人はベースを弾かないで、バケツとモップの間にゴムを通して音を出したり音痴な笛を吹いたり(そういう演奏ばっかりだった記憶が・・・)してるんだ?それより何より、そんなスーパー・ベーシストが何で今、日本に居るんだ?と言いましたところ、「確かポール・ジャクソンの奥さんは日本人じゃなかったかな。で、伝道師でもあるんじゃなかったかな。VSOPも解散したから日本に移住して、福音伝道してるって話をスタジオで聞いた」。

 ここで、あの“カブト虫”のレコードには、ここでデタラメをやってる“ポール・ジャクソンさん”がベースを弾いているのだ、と大きく印象を改めさせられることになりました、“カブト虫”は結構いんちきで陽気なレコードなのかもしれない…(大いなる勘違い)。

 続いて、ハービーがニューヨーク・ゴングの連中(=マテリアル)とヒップホップ・ファンクを演って大ヒットさせた「ロック・イット」が頻繁にラジオで流れてきました。この時、私は初めてハービーの音楽の一端に触れ、更にTVではサントリーのCMに登場して“ハービー・ハイボール!”などと脱力系の駄洒落を言ってみせるファンキィ〜な姿を見て、次第にハービーを素直に聞ける準備がなされていきました。特に「ロック・イット」のクール&ファンキーな独特のフィーリングの中で、刺激的且つ印象に残る素晴らしいシンセ・サウンドでテーマ・モチーフやシンセ・ソロを聞かせるハービーのセンスに驚きました・・・でも実際のところ、私が最も驚いたのはビル・ラズウェル(b)の弾くモコモコしたベースで、凄くカッコ良いベース・ラインだと一聴して思いました。ハービーはきっと良いベーシストといつも組んでいるんだろう、父が“ポール・ジャクソンさん”は凄いベーシストだって言ってたし…。

 しかしながら、“カブト虫”=「ヘッド・ハンターズ」をターン・テーブルに乗せるのはまだ抵抗がありました。収録曲が4曲しかなかったからです。どうせならもうちょっと曲数が多い方が…と思って、レコード棚をガサゴソやってましたら、父が仕事部屋から出てきて「ハービー・ハンコック聞きたいの?それならVSOPのライヴを聞くと良いよ、なんてったって最高なんだから!」

 『V.S.O.P.』の見開きレコード・ジャケットを開くと参加メンバーの写真が・・・あっ、ポール・ジャクソンさんだっ!! ホントにいるっ!! しかしこのアルバムを聞くのは後日になってから。最初に耳にしたのはポップな『サンライト』からでした(曲数が多かったから)。ヴォコーダーで歌うポップ・ソウル「アイ・ソウト・イット・ワズ・ユー」に夢中になりました。

 ですが父のレコード棚のハービー・コレクションは『サンライト』まで。何でその後がないんだ?と聞きましたら、父は「『サンライト』はイマイチだった。周りの連中がヴォコーダーの演奏が凄いっていうから、ヴォコーダー聞くために買ってきただけさ。その後もなんかつまんなくなってったから、ひとりでに聞くのやめちゃった。ハンコックだったら『ヘッドハンターズ』と『V.S.O.P.』で決まりだね。」

 暫くして、私はハービーの「ウォーターメロン・マン」を簡単に記譜した楽譜を見ました。物凄く簡単で、少しマヌケな感じのするメロディーに、これがハービーのジャズなのか?一体これがどうジャズになるんだ?と首をひねったものでした。その曲が『ヘッド・ハンターズ』に収録されている・・・そこで初めて、“カブト虫”をターンテーブルに乗せたものです。

 ヘッド・ハンターズを聞く

 ARPシンセサイザーによる印象的なベース・リフが有名な「カメレオン」で幕を開けるこのアルバム、最初のうちはリズムが不安気で妙にノリが悪い。それが徐々にテンポアップして、スタートして5分ぐらいから気持ちよいテンポに落ち着いたところでハービーのシンセ・ソロがはじまると、ファンクの泥臭さがブっ飛んで、もう途中で聴くのを辞める事を躊躇するほど魅力的なサウンドに変化していくのがたまらない。エレピ・ソロに入ってからのポール・ジャクソンさん(b)とハービー・メイソン(dr)の粘りのある独特のグルーヴ感はゴキゲンで、演奏時間16分なんてアっという間に過ぎてしまう魅力に溢れていたのに驚きました。その次に来るのがハービーのヒット曲「ウォーターメロン・マン」のセルフカヴァーだから、このアルバムは本当に美味しいところ突いてきます。ポール・ジャクソンさんのベースにリードされた「ウォーターメロン・マン」のノッタリとした脱力グルーヴは独特で、おマヌケなメロディーが際だって聞こえる。そして私はここで初めて知りました、これがハービー・ハンコックなんだ!結構楽しいし、気分良い! そしてレコードB面の「スライ」に移るとき、気分はもはやワクワクしておりました。実際、このアルバムは、小さなジャズ・コンボでも、楽器同士の音の重ね方次第でビッグ・バンド・サウンドが表現出来る事を教えてくれました。おかげで、不気味なカブト虫ジャケットも、聞き終わった直後の心の中では印象の良いものに変化していました。

 レコードを聞き終えて初めて気付いたことに、先述した「まちは音楽だ!」の“ポールさん”のビデオの中に、水を入れたボトルをパーカッシヴにブロウしているシーンがありました。時折“キュルッ、キュロッ”と声を発しての演奏は、正にこのアルバムの「ウォーターメロンマン」のイントロのそれだったのには驚きました。

 その瞬間、私は「ヘッドハンターズ」でグルーヴィーなベースを弾いているポール・ジャクソンさんと、「まちは音楽だ!」でデタラメな演奏をしている(!!)“ポールさん”が正真正銘の同一人物であることを確認したものです。

 実は当時の私は、『ヘッド・ハンターズ』と同時に聞いた『マン・チャイルド』の方が気に入ってしまいました。あんまり高い評価を聞いたことがなく、ハービーのディスコグラフィーでも地味な感じの『マン・チャイルド』ですが、私としては最初に聞いた時の衝撃度が大きく、今でもずっと愛聴盤です。しかし『マン・チャイルド』では大所帯の“VSOP”ビッグバンドを仕切って自らのエレクトリック・ファンク・ジャズを追求するあまり、ハービーのキレの良いインター・プレイが短く、それを聴きたい方には食い足りないかもしれません。ただ、個人的にはこの『マン・チャイルド』に聞かれる、外に向かって大きく開かれた音楽性に大きな魅力を感じます。

 ジャケットが物語る

 今まで『ヘッド・ハンターズ』を何度聞いたか判りませんが、聞く度に新たな発見があるのは面白いものです。名盤というのはそういうものです。

 実はこのアルバムについて、父と話したことは一度もありませんでした。父はレコードを非常に大切にする人でしたので管理はキチっとしていましたが、レコード棚の中にあってジャケットの損傷が著しく激しいのが『ヘッドハンターズ』です。フォア・フレッシュメンの『5トロンボーンズ』やソニー・クラークの『クール・ストラッティン』など、かつて聞きまくってアナリーゼしたというアルバムと比べても、時代的にずっと新しいにも関わらず、相当ボロボロです。人知れず、父はよく研究したのかもしれません。故に、今このレコード・ジャケットを手にすると、まだまだ勉強せなアカンな・・・、という気になります。