Side-A
諸井誠:「竹籟五章」

  (i) 芬陀 (Lento)
  (ii) 爽竹
  (iii) 虚籟 (Molto lento e espressivo)
  (iv) 破竹 (Allegro vivace e scherzando)
  (v) 明暗 (Lento assai e cantabile)

諸井誠:「対話五題」
  (i) 呪われた分身との自虐的対話
  (ii) 祖先の声との忌まわしき対話
  (iii) 滅びゆくものとの感傷的対話
  (iv) 美しき背徳者との諧謔的対話
  (v) 未知なるもの、あるいは死について
Side-B
「真 霧海麓」
(酒井竹保・編)
  第一章
  第二章
  第三章
  第四章



重要
本稿には追記文(2016年1月7日)があります。お読みになるにはこちらをクリックして下さい。


 レコードとオーディオ装置について

 実は今回はどちらかといえば、竹保流の尺八奏者、二代目・酒井竹保(故人)さんよりも、上記のサブタイトルがメインテーマ…のつもりなんですが。「宮崎尚志のレコード棚」では、塩化ビニール製のレコード盤だけを取り上げているワケではありませんが、今回、レコードとオーディオ装置に関して、大変興味深いアルバムを取り上げてグダグダとお話をしたいと思います。

 2009年の5月〜7月にかけて、父の四畳半スタジオ(仕事部屋)を改装、新たに“NAOSHISM STUDIO”(私のオフィス兼スタジオ)として再建するにあたり、宮崎尚志没後6年目にして初めて本格的な遺品整理を行いました。スタジオのあちこちから、68年間の人生で“最期まで捨てられなかったもの”が山のように出てきては、それらを入念に(?!)チェックし、廃棄物と決まれば、まとめて車に積み込んでクリーンセンターへ持ち込むという日々が80日間続いた大作業になってしまいました。意外なことに作曲家=宮崎尚志は、何でも溜め込む(なかなか捨てない)性格でありながら、それらの整理は誠に細部まで行き届いたものでした。これは意外。

 スタジオ再建の最大のポイントは、父が長年使ってきた機材と私の所有する機材とを合致させ、互いに足りない部分を補間し合うことで、スタジオとして柔軟且つ素晴らしいパフォーマンスを引き出すことでした。父は「出音」にこだわるため、特にスピーカーには結構な資金を投じてきており、昔から自慢だったTRIO製のステレオセットは、かつての実家(東京都豊島区要町)では「スタジオ録音の完パケ・テープを自宅でチェックするためのラージモニター」として機能していまして、購入から35年近くたった現在でもコーン紙の破損もなく、余裕のパワーで実に良い音を出してくれます。とはいえ、まだデジタル・オーディオなんかなかった時代の“ヴィンテージ・スピーカー”ですから、その響きは現在のオーディオ装置と比べモノにならないほどニブいのかもしれません。よくわからんのですがね…最終的にオーディオってのは“個人の趣向”ですもの。

 しかし先日、新鮮な驚きがあったんですよ。随分前に古いレコードの音をPCに取り込み、iPodに入れて時折(ヘッドフォンや小型スピーカーなどで)聞いていたんですが、その音はくすんでいて、全然良くなかったのに、iPodをTRIOステレオセットに繋いでその音を出してみたら、今までのがウソのようにクリアーで、空気感すら感じられる立体的な音が出てきたんです。再生装置が変わると、こうも音の印象が違うのか!と、新鮮な衝撃を受けたワケです。レコードの音って基本的に“良い音”が入ってるんですね。最近のアナログ・レコード再発ブームは十分に頷ける話です。

 無伴奏尺八のソロ演奏レコードは面白いか?

 スタジオ再建した直後、父の所蔵レコードからこの『竹籟五章(ちくらいごしょう)(写真右)を引っぱり出してきて、レコード・プレイヤー(ターンテーブル)にかけてみました。見て下さいよこのアルバム・カバー。素晴らしいアートだと思いません?

 竹保流の二代目・酒井竹保さんは父の古い友人で、1992年頃に急逝しました。晩年の10年間ほどは旧実家に頻繁に訪ねてきたので、かくいう私も懇意にして頂きました。極端にブっ飛んだ破天荒な性格の(=メチャクチャな)オッサンでしたが、竹保流の源である虚無僧尺八の歴史からその独特の音色まで、熱く語ってくれたものです。何しろ、両親が仕事で居ないというのに訪ねてきて、勝手に玄関あけて「ただいまー」とか言いながら家に入ってきてしまうので(旧実家は玄関に鍵をかける習慣がなかった)、私が応対する事もしょっちゅうあったんですよ。「父はまだまだ帰って来ないよ、あと4時間ぐらいかな」と言うと決まって、「ん、じゃ、待たせてもらうわ。おい、男前のナンバー2(これは私のこと)、少しワシの話に付き合え。今日のはおめぇ〜、ごつぅ〜おもろいでぇー」となるものですから、私とて仕事の締切間際の時はエラい困りましたわ! 

 で、二代目・酒井竹保のオッサンが吹き込んだこのアルバムはいつ頃の製作なのか、なーんも書いてないんで判らないんですが、当時は画期的なレコードだったそうです。何しろ「竹籟五章」と「対話五題」は作曲家・諸井誠さんの作品で、竹保のオッサンが初演した“現代曲”。特に「竹籟五章」は作曲者が竹保流の虚無僧尺八の奏法を徹底的に研究して作られた作品だけあって、無伴奏での尺八ソロとなっております!「対話五題」は無伴奏尺八デュエット!アルバムには、その斬新な2作品と共に、竹保流の伝承曲「真 霧海麓」がカップリングされていて、これもまた当然の如く、無伴奏尺八ソロ!つまりこのアルバムは尺八以外の音は何も入っていないのです!!

 結論から申しますと、このレコードを父のステレオで聞いた時(今回初めて聞いた)、溢れるライヴ感のみならず、竹保流尺八が持つプリミティヴなダイナミズムに圧倒されて、音楽を聞く喜びに酔いしれました。尺八一本が多くの聴き手を一喝し、黙らせるほどの激烈なフォルテッシモの叫びを聞かせると同時に、優し過ぎるほどのピアニッシモをも聞かせます。本当に尺八のダイナミックレンジの広さは驚くばかりです。この録音も非常に良い。音の中から、二代目・竹保のオッサンの匂い(オーデコロンの)も思い出したほどです。

 ところが、これをiPodに入れてヘッドフォンで聞いてみますと、面白くもなんともない! レコードのスクラッチ・ノイズも大きく、ミョーに気になる。コロンの匂いもしない。それまでの印象が一転してしまいます。これは父のステレオが良いからだというような単純な理由ではありません。実際の竹保のオッサンの尺八のサウンドは、驚くべき低音(ロー・フリーケンシー)から激烈な高音域ノイズまでを自在に操る、ブっとい(=太い)音をしていましたし、それがレコード盤にも記録されているワケで、それを正確に再生するには私の3000円程のカナル型ステレオ・イヤホンでは無理だった…と思うのです。しかしそのお陰で、生音を収録したレコードをでっかいスピーカーで音楽を聞くということは“音楽体験”に近いのだという、以前なら当たり前だった概念を再確認したものです。オーディオのマニアさん達がこだわり続ける理由が、少しだけ判ったような気がしました。

 レコードの音は良い?

 とはいっても録音というものは、それをマイクで収録するエンジニア(ミキサー)さんのセンスが、私達リスナーの前に必ずあります。録音はいわば“エンジニアの感性のフィルター”を通ってきた音であって、決して生音そのものを再現するものではありませんし、生音を完璧に収録し再現することなど不可能だということはエンジニアさんなら重々承知ですから、2chステレオという“狭いながらも深い枠”の中で如何に素晴らしい音で聞かせるか?に重点が絞られるのです。レコーディングで今も使われる録音用語に「音を拾う」というのがありますが、私はここにレコーディング・エンジニアの仕事の基本精神を垣間見ます。

 又、レコード盤(ディスク・レコード)というベルリーナ・グラモフォン以来の発明(発明王エジソンのは円筒です)は年を追う毎に改良に改良を重ねて、1970年頃には相当にイイ線まで到達していたのですが、私はレコード/CDの音質(特に生演奏の録音)というものは結果的には「音を拾う」エンジニアさんのセンスに他ならない、と思っています。演奏者とリスナーとの距離をどうとるか? 即ちリスナーを客席のどこに置くか(場所の想定も色々あると思います)といった“フォーカス”の合わせ方によって、録音方法もまるで変わってくる訳ですから。例えばピアノ独奏曲の録音でも、マルチ・マイキング(マイクをいっぱい立ててバランスを取る方法)で録ったとしても、最終的に完成させるべき“狙った音”はさほど変わらない。ピアノ内部のハンマー+弦を狙う複数本のマイク、それにホールのアンビエンスを録る2本ぐらいのマイクを立てるスタイルであっても、まさかリスナーを「ピアノ内部にアタマを突っ込ませ、“第3の耳”でホール後方からの響きを同時に聞く」といった、あり得ない立ち位置を作ろうなんてエンジニアがいたなら、そいつぁーチャレンジャーだ。勿論、スタジオ録音で最初からそういったサウンドにまとめる狙いなら、それはそれでOKなんですがね。

 理屈の上では、エンジニアの狙った音が出来るだけ正確にメディアに記録され、家庭で再生できれば良いワケですからデジタル・メディアの方が良い。たとえCDの規格がサンプリング周波数44.1kHz/16ビットであるが故に高音域の16kHz以上がカットされてしまうとしても…です。なのに何故、レコードを追求する人が増えてきているかと言えば(推測に過ぎませんが)、レコードは大きめのスピーカーで適当な音量で鳴らし、その前に座ったりして、じっくり音楽を聴く行為に自然と結びつくからではないかと思います。いわゆる“音楽鑑賞”ですね。

 レコードを小さなコンポで鳴らしても面白くないし、かけっぱなしにしておいて他の用事をしようにも25分ほどで片面が終わってしまいますから落ち着かない。ならばカセットテープのような長時間記録可能なメディアにダビングしてかけっぱなしにしておこう…、こういう図式が昔はありました。しかし現在はレコードをPCで録音し、iPodに入れてかけっぱなしにしよう、と思う人は稀だと思います。ですからレコードを聴くという“リスニングの行為”そのものが復興し、音楽を良い音で部屋に響かせるのは特別で素敵な事だと、世の人は再び気付きはじめたのではないでしょうか。

 オッサンの熱い語り

 さて、竹保のオッサンが私に語った内容は、ここに全部書くワケにはまいりません。裏表のないお方で、なんでも喋ってしてしまうので裏話だらけ…冗談半分でしたけどね。しかしながら「竹籟五章」については非常に誇りに思っていると幾重にも強調しながら、当時を振り返って…

 諸井はホンマ、ホネのある作曲家よ。竹保流の“本曲”(尺八一本だけで演奏する曲のこと)を泊り込みで学びよって、よくぞ竹籟を書いてくれたってモンよ。でもヨ、昔は諸井の作品をワシは全然満足せんかった。こいつぁー竹保流の精神ってモンをまるでわかっとらん!って。だからワシはあいつにな、おいコラ、ワシがお前の作品にホンモノの息吹を入れたる!せいぜい感謝せい!って挑発したりしてよ。ほなら諸井のヤツ、ニヤニヤしてよって、それ見たらまた腹立ったりしてよ。まぁお互いにアホなことやっとったわ、あいつもワシも若かったからな。諸井の“竹籟”のお陰で、ワシは世界に飛び出せたんやから、ホンマはあいつに感謝せなアカンのにな…。ま、若気の至りっつーもんですな。がっはっはっ。
(二代目 酒井竹保・談)

 …とか続くんですから。ただ、大変興味深い発言も山ほどありました。以下は、二代目・酒井竹保が直に私に語った内容を、記憶を辿って書いたものです。こんな感じで喋っていたと思って読んで下さい。尚、何モノをも誹謗する意図はありませんから、実際とは異なる「脚色」(※事実とは異なりません)を施しておりますこと、何卒ご了承願いますさかいに。



(1) スタジオ尺八プレーヤーとして

 ワシは早うから伝承のスタイルだけやなくて、もっともっと可能性を広げたかったんで、一人で西洋楽譜(五線紙)を読む勉強をして、西洋のピッチに合わせて尺八を演奏できるよう、ヒマを見付けては特訓したもんや。ワシの高校時代の親友がハイスピリットっちゅー会社作って、東京で仕事せんかーいう話があってな、そいで上京して、モダーンな録音スタジオに出入りするようになったんや。いわゆる“尺八プレーヤー”としてな。そしたらの〜、そりゃーもぅ、竹保流だナニ流だなんて関係ない世界よ。別にワシが“ロイヤル・オクトパス流”(当時、酒井竹保が西日暮里あたりで開いていた飲食店の名前)だとかウソ並べても、へぇ〜そうなんですかぁーとかマジメに答えられちまうかもしれねぇってよ(笑)。だがよ、西洋楽譜の読める尺八プレーヤーってのは居なかった時代だから、仕事はごっつぅ〜来たもんよ。もぅ独占状態のガッポガッポ! 作曲家もそんな演奏家が居るって判れば、面白がってアンサンブルに尺八を加えたんだろうよ。そういうの流行っとったからのぉ。

 しかしよ、最初の頃にはつまらん思いもしたよ。軽快な4ビートみたいな曲で、ワシは尺八をサクソフォンみたいに思いきりブロウしたよ。モダーンなジャズに魂の息吹を注入しようと思ってな。そしたらそれがNG!全部ワシのせいだっつーのよ。でよ、全部普通に吹いてくれって言うわけよ、ディレクターとか作曲家は。だから、あんたらの言う普通ってどういう演奏のことだ?って聞くと、誰も答えられなかったよ。ただみんな「首振り」するだけでよ。実際、尺八ってのはその程度(首振り)しか知られてないんだなって、いい社会勉強になった。ワシは世の中のことをナンも知らん、山から下りて来たばかりの仙人みたいだったんじゃ。
(二代目 酒井竹保・談)


(2) 宮崎尚志との出会い

 スタジオの稼ぎが結構良かったから、毎晩のように銀座とかで遊んだもんよ。そう、その日稼いだ分は一晩で全部使っちゃう。どーせ商業スタジオでの仕事なんて尺八のシャの字もわかんねー奴らばっかで、ただワシが譜面どおりに尺八を「首振り」してりゃいいんだって、すーっかりバカにしとったからのぉ。お陰でスタジオじゃ誰もワシに近づかんようになっとった。

 でよ、確か丸大ハムのCMだったかと思うんやけど、或る日いつも通りスタジオに呼ばれて行ったら宮崎尚志先生の録音だったのよ、お前のお父さんよ! まだお前が産まれる前…ところでナンバー2、お前何歳だ?ナニ?そんならお前がまだヨチヨチの頃じゃねーかな…まぁそんな時代よ。

 宮崎先生はワシが竹保流だって人から聞いてたらしいんだが、流儀についてよく理解していないからって、ワシんとこにわざわざ聞きに来たんじゃ。この曲での尺八はこんな感じで入れたいんだが、竹保流ではどう演奏するものなのか教えてくれ…ってよ。スタジオでのワシは、皆から避けられていると判ってたし、わざとそのようにしてたのもあるんやけど、宮崎先生は飄々と近づいてきたよ。しかも録音前で、みんな待ってんのによ。確かワシはそん時、先生のおっしゃること、よー判りました、多分この楽譜で大丈夫ですからやってみましょう、先生が気に入らなければ色々と試せる用意はあります、って言ったハズじゃ。1回目のリハーサルで、ワシはその音楽をえらく気に入った。だから“普通の演奏”ってのを辞めて、2回目のリハーサルでは魂を込めて吹き込んだ。そしたら宮崎先生は喜んで、尺八独特のプレイを細かく要求し始めたんや。ワシは心底驚いたね。知っとったんじゃ、宮崎先生は尺八の基本的な演奏法とサウンドをな。さっきの「首振り」とは大違いよ。ほんま底意地ワルい奴っちゃな〜!なんちゃって。けどよ、考えてみたらワシは大きな勘違いをしとったんや。先生は最初、「竹保流の尺八の奏法」について質問してきたんやけど、ワシはロクに答えんかった。ワシは自分を恥じたよ。バカにしとった商業スタジオには、若くて立派な作曲家もおるんかって。

 確か録音が終わった後、宮崎先生とワシは時間をとって話をしたんや。お互いに忙しい中で、どうやって都合つけたかなんて覚えてないがな。先生は竹保流のプレイ・スタイルっちゅーのに興味があったらしくてな、ワシは竹保流の原点である“虚無僧尺八”の話から始めたんよ。虚無僧ってのは実は“隠密”でな、いわゆる007、ジェームズ・ボンドよ。虚無僧がなんで尺八を持って歩いていたかってゆーとな、“演奏”で機密情報を伝達していたんじゃ。情報伝達の演奏は“暗号”での、全て決まりがあってよ。例えば、或る1つの音がしゃくり上がるとそれが“幕府”の意味だったり、或るフレーズは特定の地域を表したり…例えて言えばそんな感じよ。虚無僧同士が道ですれ違う時に、情報を掴んでいる方が暗号文の音楽を演奏する。もう一方がそれを暗記して、次の虚無僧へと伝達する。遠くで吹いてたとしても、それを聞き付けた虚無僧が別の場所に行って同じように吹く。これを繰り返していくと、わずか1〜2日で東京から京都まで機密情報が疾風の如く流れていくっちゅーわけよ。飛脚なんかよりもずっと速くな。つまり音楽が言葉だったんじゃ。

 それを聞いていた宮崎先生はえッらく興奮してよ! 虚無僧は自分で掴んだ機密情報を即座に音楽に組み上げられたんだとすれば、それは即興演奏、つまり“ジャズ”ではないのか?って言うんで、ワシはジャズはよーわからんが、そうかもしれないって言ったよ。そしたら宮崎先生はアメリカ建国以前、ジャズなんか産まれてなかった遥か昔に、日本では実用的レベルで“ジャズ”が存在したってエラく感動してよ、じゃぁ2人で試しに何かやってみようじゃないかって話になって、ワシは尺八を出して、宮崎先生がピアノに座って、打ち合わせもなしにフリーなインプロヴィゼーションを始めたんじゃ。これがもぅ、素っ晴らしい体験じゃった!ワシは竹保流で魂込めて吹き、宮崎先生はモダーンなジャズピアノを弾いた。ワシが音で対話をしかけると、宮崎先生はちゃんと応えてきたんじゃ。こりゃーワシの方かて、言葉にならん衝撃を受けた。竹保流は現代でも通用する!って確信になって、探っていた可能性は現実のモノとなった。諸井がワシの魂にあった固い扉を“竹籟”でもってこじ開けた、だが宮崎先生のお陰でそれが一気に開けっ放しよ! ナンでワシがお前のお父さんを“先生”と呼ぶかって?それはな、その体験があったせいよ。今でも音楽家として惚れまくっとる。尊敬なんて生易しいモンやない。
(二代目 酒井竹保・談)

 実際、酒井竹保のオッサンは晩年の1991年、ホテル・ニューオータニで開いたランチタイム・ソロ・コンサートで宮崎尚志をコンサート・ディレクター兼ピアニストとして招き、「かつて2人でやった即興演奏の思い出を胸に新曲を共作、演奏したい」との熱望により、新曲「ホテル・オペレーション・スピリット」を披露しました。


(3) 「ノヴェンバー・ステップス」の登場について

 ワシは(昭和)39年、まだ“酒井竹道”だった頃に、諸井の『竹籟五章』で音楽史上初にして最高の現代尺八プレーヤーって見なされていたし、それを誇りにしていたんじゃが、タケミツ(武満 徹)がN.Y.で『ノヴェンバー・ステップス』を発表した後から全て変わってしもうた。何故か『竹籟五章』は“最初からなかったこと”にされてしもうたんや。勿論、ワシもお呼びでなくなった。なにもワシはタケミツと横山(横山勝也。『ノヴェンバー…』初演時の尺八奏者)を恨んだワケやない。何も知らんし、よう調べもせんで『ノヴェンバー・ステップス』が西洋音楽と邦楽とを融合させた画期的な作品だと大騒ぎしたN.Y.の新聞や雑誌、その情報を鵜呑みにした日本のメディアに不信感を持ったのよ。

 『竹籟五章』は竹保流という日本古来の虚無僧の息吹を、現代の西洋音楽の語法と一つの線で結ばんとする作曲家の精神があって、そこが他と全く違った奥深さなんじゃ。確かに『ノヴェンバー…』は尺八と琵琶が西洋の大楽団と一緒に演る、見栄えのする作品。“竹籟”は尺八一本。確かに見栄えでは敵わない。だがそれは音楽という芸術そのものの質とは全く関わりはなく比較すべきものでもない。
(二代目 酒井竹保・談)


(4) 尺八の譜面について

 竹保流にも、いわゆる“楽譜”ちゅーモンはある。先祖代々、口伝されてきた曲を紙に書き記す時にまとめられた独自の記譜法じゃ。それは音程やフレーズ、音色、演奏方法まで細かく記載されており、初見演奏は到底無理なんじゃ。楽譜を見ながら演奏することも困難なので、全てを暗譜するしかない。心身に完璧に染み付くまで、練習に練習を重ねる。つまりな、書いてある通りに正確に演奏できれば、曲の再現はほぼ完全に行える優れモノなんじゃ。

 それに対し、西洋楽譜は初見演奏が出来るほど情報が少ない。音程も1オクターブ12個とキッチリ決まっておる。日本音楽と西洋音楽との決定的な違いはここにある。情報を削ってまで合理化を計った西洋音楽は、だからこそ世界的に広まった。再現が容易だからじゃ。一方で日本古来の音楽は世間に広まるほど簡単ではない。だからこそプロヘッショナルとアマーチュアの境がハッキリする。日本音楽っつーもんは“正しく演奏できる事”自体がプロヘッショナルなんじゃ。とてつもなく上手い先代が自分のプレイを詳細に書き込んだんじゃから、演奏技術が先代と同じレベルにならなけりゃ正しく演奏なんてできん、そういうモンや。そこんとこ、よーく肝に銘じておくように。
(二代目 酒井竹保・談)

 ノイズの向こうに生きる魂

 そんな事を思い出しながら、ターンテーブルにかけたレコードでB面の竹保流の本曲「真 霧海麓」を改めて聞いていると、竹保のオッサンのいう“息吹”が聞こえるようです。私は腕時計も含めて“デジアナ/アナデジ”を通過してきたハイブリッド世代なので、アナログもデジタルの優劣は関係ないと考えているんですが、アナログ・レコード盤ってやっぱりいい。本音ではマスターテープと同等のものが欲しいから、レコード盤のプチプチノイズとか、盤の劣化による内径の音の歪みとかマジ勘弁で、CDの方が絶対的に良いんです。が、レコード盤だと楽器独特の共鳴音が気持ち良く“鳴る”んですよ。オッサンの尺八も、鬼気迫るほどに鳴ってます。プチプチノイズの向こうに、今もその“息吹”が在ります。



 追記 尺八を演奏する方々へ(2016年1月7日)

 本稿は飽くまで二代目・竹保師への晩年10年間の私個人の回想によります。ですが圧倒的な『竹籟五章』を録音した若き師の人柄とは少々違うようだという事を敢えて追記しておくべきでは?とのご指摘を、尺八吹奏研究会事務局長・貴志清一様より頂戴致しました。尺八の愛好家の皆様が、そして直接指導を受けた多数の尺八奏者が本稿をお読みになって「えぇっ?!」と当惑なさらないようにバランスを取るべく、合意の上、尺八吹奏研究会・会報322号「幻の尺八名人酒井竹保は音楽に対しては純粋であり、誠実な人物だった」との相互リンクを致しました(太字の標題、又は下記のバナーをクリックして下さい)。是非、併せてご一読下さるようお願い申し上げます。深い洞察による『竹籟五章』を聞いたことから始まる二代目・竹保師に迫った寄稿文は、師の遺された足跡を辿る上で一読の価値があります。