三部作の最後は、沖縄です。この地については何をかいわんや。歴史の荒波に幾度となく晒されながら、それでも独自の琉球文化を守り続けてきた地です。1970年代、喜納昌吉&チャンプルーズの大活躍で「ハイサイおじさん」等で聞ける“琉球音階”が広く知られるようになり、琉球音楽は日本の多くの先鋭的な音楽家達を虜にしました。沖縄の音楽と言えば“ラ抜き長調”の琉球音階を誰もが指し、大らかな踊りと人情と絆の音楽を思い起こすでしょう。


 旧・古今聖歌集を見ますと、越天楽の旋律を用いた「よもにくもきり」という、和の旋法としては500数十曲中唯一のチョー・ユニークな(?!)聖歌がありましたが、琉球音階はありません。歴史的に見れば旧・古今聖歌集が出版された時期、沖縄はアメリカの領地であって、とてもビミョーな立場でしたからね。


 とはいえ、琉球音階を基本に持つ聖歌としては、今回の聖歌集に於いても唯一なのが「沖縄の磯に」です。この聖歌は大傑作だと思います。2006年11月、第12回礼拝音楽委員会&聖歌集出版記念礼拝が大阪・川口キリスト教会で行われた際、縁あって私もそこに参加させて頂いたのですが、作曲者の下地薫さんの沖縄三味線“三線”(さんしん)の伴奏で皆で歌った時、感動して、不覚にも涙してしまいました。山野繁子司祭の書いた詩が思いっきりグっと来た。音楽とこんな出会いをしてしまうともうダメ! 私の愛唱聖歌です。

 

 では、歌詞を見てみましょう。


沖縄の磯に  十字架を立てて
共に支え  祈るとき   
海からの風は  私に語る   
多くの命が  失われた地  

※(おりかえし)
命(ぬち)どう宝 
小さな命
命こそ宝
豊かな、豊かな命

海が血に染まり 望みが奪われ 
洞窟の中  絶えゆく命
救いを求めて  叫ぶ声に   
主よあなたは  どこにおられた

※(おりかえし)

沖縄の磯に 立てた十字架は
今も続く  痛みのしるし 
けれど十字架は 新しい命   
生き抜くことへのはげます言葉 

※(おりかえし)



 私が曲を書かせて頂いた「重荷背負う人に」も山野司祭の作詞です。実は山野司祭の詩はとても軽いんです。「沖縄の磯に」は強烈に重いテーマを扱っている上、言い回しにもショッキングなものがあるんですが、心にグサっと来ないでサラっと風のように過ぎてしまうので、沢山の余韻を残します。1〜2番のヴァースの部分で血・痛み・苦しみ・死・絶望と、お先真っ暗であるにも関わらず、※(おりかえし)の「ぬ〜ち〜どぅた〜かぁ〜らぁ〜…」で一気に心に光を放って救済する手腕は見事。んでもって、3番の静かな力強さは、年間の自殺者がいっこうに減らない日本に於いて、現代的なメッセージ性を多分に含む聖歌にまとめられてます。実にいい。聖歌改訂委員さんたちにも拍手!


 作曲の下地 薫さんとも、私は面識があります。どこか脱力系ムード満載の方なのに(おっと失礼!)、三線は上手いわ、トランペットは上手いわ、大変器用で才能豊かで、心に熱いものを持った方です。この聖歌は“沖縄丸出し”かと思えば、懐かしい歌謡曲スタイルがベースにあり、「ぬちどぅたから…」のコーラス部分(※この旋律が歌い出しのAメロと同じ事に注目!Aメロの完成度の高さ、音楽的な充実度を証明しています)に入る直前の、旋律的な盛り上げ方やハーモニーの使い方に明らかにそのスタイルが見られます。そのお陰でポップ度が高くなっていることは大きなポイント。親しみやすくドラマティックな一面を隠し持っているのですよ。


 ただ、これを聖歌集の譜面通りに弾いた伴奏で歌う際、1、2、3、4と数えて歌っちゃうと、小節感覚が狂いますよ。コーラスの後半「命こそ宝、豊かな…」の部分で1小節だけ6/4拍になりますから(聖歌集では途中で拍子が変わる事を敢えて記載していませんからね)、拍数を数えて歌うと途中で理解不能になり、「この聖歌、マジ、ヘンだしー」と放り投げてしまいかねません。もしもどうしても拍(リズム)を数えながら歌いたいとおっしゃるなら小節を半分に切った2/4拍子の感覚で数えると良いです。そうしますと、1、2、1、2となります。手拍子しながら歌うなら、1拍目にパンっ!とクラッピングすれば誠によろしい。問題の6/4拍子の部分も、2拍で数えれば難無く理解可能になりますでしょ。



 私が勝手に思うに、この聖歌をオルガン伴奏するには十分な注意が必要です。元々、三線のような減衰音系の楽器を想定して作られたのでしょうから、伴奏も三線での伴奏スタイルを残し、軽い和音をプラスした感じがします。面白いことに譜面上下段を2つのギターに振り分け、ギター・デュオを想定して弾いてみますと意外と弾きやすい(思うに聖歌集の譜面はギターを弾いて音を取り、そのあと楽譜上で音が整理されていったのではないでしょうか)


 ですからサスティーン(持続音)系のオルガン等ですと、冒頭のデモ演奏のように全体的にベタベタした感じになりがちです。オルガニストは音栓の選び方に注意するだけでなく、譜面通りに音を追うべきではありませぬ。書かれたどの音符をペダルするか(持続させるという意味。ギターなどの弦楽器では低音弦がペダル状態に頻繁になる)、どの音符をレガートにするかノンレガートにするか、事前に考えておくといいかと思います。特に、鍵盤から指を離す(1つ1つの音を切る)タイミングを研究すると良いかもしれません。又、腕の立つオルガニストならば聖歌集から離れてリハーモナイズすることでオルガンという楽器に適した奏楽は可能になるでしょう。


 又、ハーモニー自体がシンプルなので、多様なアンサンブルで奏楽することも容易です。これもサンプルを載せておきますので聴いてみて下さい。音の構成はエレキギター×3、生ギター、オルガン、打楽器(小太鼓、大太鼓、シンバル)、ガムラン・ループ。細かいアレンジもなしにこれらの楽器に振り分けて実際に演奏してみたら、途中からまるで英国の音楽家マイク・オールドフィールドか?と錯覚するようなサウンドなりました。丁度、アルバム『QE2』の頃の…。やはり琉球音楽には独特の旋法のみならず、“独自のオリエンタリズム”があるんじゃないかと強く感じますよ。


「沖縄の磯に」- Ensemble -



 ともあれこの聖歌、沖縄の“三線(さんしん)”でのシンプルな伴奏で歌うと、ドカン!ドカン!と心を揺さぶるのです。実に不思議です。先日発売された礼拝での実録聖歌CD『今日もまたあたらしく』に収録されている同聖歌を聴けば判るとおり、聴いているだけならやたら長くてダルい、退屈! しかし一度歌ってごらんなさい(CDの音に合わせて歌って下さい)、目から鱗が落ちますよ。歌うことによって自らの心に新たな命が宿る聖歌、これぞ新しい「日本聖公会聖歌集」の真骨頂だと思います。

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