どんな曲かな?

S25-9「キリエ」

 

 作曲にあたって

 グレゴリオ聖歌で私が長年、ミサで慣れ親しんだ「マリア・ミサ」は、単旋律でありながら圧倒的な荘厳さがあり、西洋音楽芸術の精神性の原点である“重量”の、ある程度の基準を示しているものだと考えられます。つまりこれ以上重いと“お先真っ暗の人生”、これ以上軽やかで明るいと“軽薄なアホ”と言われます(そんな無茶な!)。しかしこれだけは間違いなく言えるでしょうが、その重量感は完全に非日常の世界観を演出しているということで、それこそ典礼が重んじてきたものだと言って間違いないでしょう。しかしヘンな言い方ですが絶大なブランド力のあるカトリック(ローマ法王はもはや人間らしく見えないほど偉大なシンボル)、世界史でも習った“宗教改革=マルチン・ルター”のルーテル教会(バッハもルター派だもんね)とは違い、聖公会は「“ヘンリー八世の六人の妻”ですヨ、“アラゴンのキャサリン”とか“アン・ブーリン”とか“キャサリン・パー”ですヨ」と言ったところでプログレッシヴ・ロックのファンでもない限り、なんのこっちゃというほど一般的知名度は低く、そういった方々をミサに連れていくと、バチカンのミサと勘違いするほどのミステリアスなムードに一種の戦慄を覚えるそうです。・・・なんでそうなるんだ? ならばニコライ堂に行ってみなって。東方教会の礼拝は、もっとスゲぇー!(私的な意見)


 ですからミサ曲の中で、「キリエ」には強いこだわりと言いますか、特別な想いがありました。古来より「主よ憐れみたまえ」、「主よ、私たちに憐れみをお与え下さい」と唱えられてきた“キリエ・エレイソン”。典礼のミステリーはまさにここに開幕します。古来の聖公会に於ける、スローモーションのプロセッション、物音一つ立てない大勢の会衆、そして始まる神秘的な「キリエ」・・・ミサに初めて参加する人にとって、ここで既に圧倒されてしまうようで、素直に「まるで葬式に参列したみたいだ」と形容した人さえもいました。なるほど、そういう見解もあるか・・・だが本質はそうではないんじゃないか?


 はて、ミサ曲の「キリエ」は、かくもミステリアスなのか? では“キリエ・エレイソン”の意味をもう一度検証(??)してみると、どうやら「主よ、我らにお慈悲を!」という意味よりも、丁度200X年に韓国の男優ペ・ヨンジュン(ヨン様)が来日した際の成田空港の大フィーバーの如く、「ヨン様〜!こっち向いてぇ〜!」といった感じに、群衆の間で使われた一種のクリシェ(常套句)だったと考えるとしっくりきます(ホントか?)。


 即ち、私は“キリエ・エレイソン!”をズバリ「イエス様〜っ!」といった意味合いに捉え、それを大声で繰り返す人々の様子をイメージしました。これは大栄光への序章です。ならば噴き上がる人々の声・・・期待と不安に満ちて・・・ドキドキの瞬間・・・圧政の元にある人々の、きっと何かが起きるだろうという思い・・・。もはや気分は人声による噴き上がるファンファーレ。よって「キリエ」は、明るいファンファーレ風に書いてみようとプランを立てました。


 それから先はアっと言う間です。その日の夜、寝る前に歯を磨いている時、脳裏に聞こえていた、それはそれは高らかなムードを持った旋律を鼻歌で歌っていましたら、おや? “キリエ・エレイソン”のテキストがキチンとハマるじゃないですか。但し「キリエ・エレイソン」、「キリステ・エレイソン」、「キリエ・エレイソン」を各々3回ずつリピートするという従来のミサ曲の形式ではなく、2回ずつという形でしたが。早速鼻歌を書き留めて、ついでに和音も書き添えました。和声付けも手早くやってしまったのですが、この旋律は音域が広く、2回目の「キリステ・エレイソン」では低すぎる音が出てきたため、そこだけ手直ししました。

 

 演奏について

 ファンファーレですから、華やいだ感じがよろしいと思います。テンポは遅くならない程度に・・・しかし、次に「大栄光の歌(Gloria)」を歌う場合、用いる曲調やテンポ(どの曲譜を使うかによる)気持ちよく繋がるようにすることも忘れずに。「キリエ」が単独で浮き立ってしまわないよう、十分に配慮して下さい。

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