初演・初出:
 1998年3月28日・コンサート「Elpis Live:復活の希望に向かって」(第1稿)
 1999年3月1日発売・CD『UNITY!〜サイバースペースのクリスチャンたち』収録(第2稿)
 2006年6月11日・横浜教区「林間バルナバ・Elpis教会コンサート」(第3稿)

 

 

 唐突な序文

 はじめに、これは作曲した当時から現在も尚、数少ない私の“自作フェイヴァリット・ソング”の1つです。あなたの自信作はどれ?と聞かれたら、迷わずコレ、と答えます。深い思い入れがあるだけでなく、作曲当初からほとんど改訂をしていません。


 思い入れが深いということは、この聖歌は「私に限りなく近いところにある」のであり、それ故に、私以外には理解し難いものがあるのではないかと思います。飽くまで「曲」のみの話なんですがね。

 

 A Easter Song for Myself

 心の奥底に大きな穴が空き、時間を経ても治る気配が全く感じられないまま、ただひたすらに“前向きに”生活することだけを、無理矢理自らに課して生きていた時期がありました。その頃、日々を過ごしていく事に奇妙な虚無感を感じることしきりで、作曲の仕事でも充足感を得られず(こ、これは重症だ!)、生活はかなり荒んでいきました。そんな中、1998年の大斎節に奈良の友人で“PANKUZU(パンくず)”こと喜多京司さんが、私と共に製作中だった賛美CD『UNITY!〜サイバースペースのクリスチャンたち』のための新曲の譜面を送ってきました。その譜面をピアノで弾いた時(特に理由はありませんが)、今、自分にとって“自分を救う”事が最も重要で早急に必要なことだと気付きました。


 …イースターが近い、Elpisでのイースター・コンサートも控えている…イースター?…果たして主イエス・キリストの復活の奇跡は自分に、隣人にどういう意味を持つのだろうか? 政治犯として捕らえられ、イエスによって救済されるべきユダヤの民から極刑を望まれ、十字架で死刑となった主イエス・キリストが死後3日にして甦るということ…人間として最悪の屈辱と苦痛を与えられ、末代に渡って消えることのない汚名を着せられたにも関わらず、主イエス・キリストの名は現在、それを完全に払拭して余りあるという紛れもない事実、その底知れぬ実力…主は羊飼い、私達はその羊の群れであり、主の救いの栄光にあずかろうと日々信仰生活を送っているのだとすれば、闇の中の闇、どん底の中のどん底である死の淵から甦った圧倒的な力に、私は何としてもあやかって“復活”したいと願いました。そうだ、イースター・ソングを作ろう、Elpisのオリジナル曲として、そしてCD『UNITY!…』に収録する新しい賛美として、何より自分のために。それは、確かに救われるための行動でした。



 作曲プロセス/ロング・ヒストリー


※以下の文章は『UNITY!シークレットストーリー:きよきあさに』、及び『Elpisオリジナル・ソング・シークレットストーリー:きよきあさに』を元に加筆・補筆したものです。

 この曲は演奏会用賛美として、又はCDアルバム用の賛美として作曲したものの、基本的に聖歌/讃美歌に相当するフォーマットで書きました。即ち“Aメロ”や“サビ”といった現行ポップスのような形ではなく、王道の“Hymn”というシンプルなスタイルを敢えて取りました。その理由として、1995年5月に聖歌「こころのとびらをひらくと」を書いたものの、この曲には“聖歌・讃美歌にそっくりの曲を書く”という意識を先行させ、しかも心此処にあらずといった(あっちの世界に行っちゃった)感じで出来上がった曲が礼拝で用いられている事実に、何か自分が無責任な事をしたような印象がなかなか拭えなかったことにあります(極めて個人的な感情ですが)。それ以来、全音譜に責任を持って自分なりの聖歌・讃美歌を作りたい、という気持ちが常に心にありました。それが限りなく素直に形になったものが、この「きよきあさに」だと言えます。


 通称“パンくず”(="Pankuzu"喜多京司)さんは素晴らしいソングライターである事は、CD『UNITY! 〜サイバースペースのクリスチャンたち』に収録した4曲(その内の「空の鳥よ野の花よ」は聖歌集に第541番として収録)で、十分なほど分かりましょう。私は以前から彼と共同で曲を作ってみたいと思っていましたが、そのきっかけが私の個人的な悩み、そしてその先に控えていたElpisのコンサートでした。まずはこのコンサートに向けての“新曲”として、作曲を始めました。


 最初にパンくずさんとメールにて曲のコンセプト/イメージ固めをすすめ、私が先に曲を書き、後からパンくずさんが歌詞をつけるという“曲先”の方向で作業を進めました。作曲する時に最初に心に決めたのは、ピアノに向かって指を動かさず、ただただ歌いながら作るという事でした。


 この曲のモチーフは、換気扇の下で煙草を吸っている時に耳にしたものです。当時住んでいた部屋のキッチンの換気扇が歌い出した…と書くと笑える話ですが、実際にその換気扇はランダムながら音程をもって鳴り出したものです。普段は単に上昇していくムチャクチャな音列を奏でていましたが、この時は何故かゆったりと上昇し、「ドーレーミーソーー」みたいな旋律を奏でました。理由はありませんが、この音にピンとくるものがあり、このモチーフを歌い始めとして歌い出してみると、煙草2本ほど吸い終えたところで完成しました。その後ピアノに向かってハーモナイズし、どうにも気に入らないところを部分的に手直する程度の修正を加えて簡単な譜面(コード付きメロディー譜)を書き上げました。


 パンくずさんに作詞してもらうため、その譜面を送付する際、私は「この曲は暗闇から出られないでいる人達が大きなパワーによって立ち上がって行く“讃美歌”です、悩む人達に捧げる歌です」と、敢えて注釈をつけました。この“悩む人達”とは勿論、自分を含めての話であり、それを痛いほど理解して下さったパンくずさんは、何よりそんな私を励ますため、文語調で全3節に渡る歌詞を短期間で書き上げました。

 CD『UNITY!』の楽譜集『UNITY! SCORES』(発売元:株式会社ヨベル/税込 ¥1,680-)に記載された、パンくずさんご自身の当時の回想によれば、「まず、何より彼への応援歌として作りたいと感じました。そして、すべての人々がイエス様の復活を見上げ、新たな力を得られるような内容にしようと思いました…(中略)…主の復活について黙想しました。復活された朝はどんな状況だったのだろうか…?とても厳かで静かな情景が浮かんできました。その瞬間『きよき朝に』というフレーズが与えられました。文体は自然と文語調となっていきました。メロディーラインを考えれば、それは必然性のあることだったのです。作業は順調に進みました。」と記していますが、実際にご本人に聞くと…

 あんときはボクかて必死だったんよ。道くんと一緒に曲作りするなんて初めてやし、願ってもないチャンスやったから物凄く嬉しくて即承諾したけど、道くんのメール読んだり電話で話したりして、こらドエライことになってるわってビックリした。そんな時にドエライこと引き受けてもうた!こらぁボクの手に負えないかもしれへんわ、どないしよう思うた。でも断ったら一生後悔するとも思うた。とにかく自分としてはキリストに繋がれた大事な兄弟である道くんのために何かせんとアカン、ほならその話、命を懸けて乗りましょって。でもどんな曲が上がってくるか心配だったのも本音でね、芸術家は物凄く繊細やから。もしかしたら本格的にダメになってるんやないかって。そやけど出来上がった最初の譜面を受け取ってピアノで弾いてみたら、そんな心配、瞬く間に吹き飛んでもうた。(彼は)生きている、以前にも増して強く生きようとしている事を音楽で証しているとビリビリきた。なんといっても物凄ぅ〜えぇ曲やったし、詞がそれに相応しいものにせんとアカンって思うたら、そらープレッシャーですわ! しばらくの間、詞は全然まとまらんし、思い付いたらメモできるようにノートを持ち歩いてました。でも不思議なことに最初のフレーズが与えられてからホントに、順調に詞が出来ていったんですぅ、聖霊に満たされてた感じやった。
(パンくず喜多京司・2000年8月の談話)

 曲、詞ともに揃った時点で正式に和声付けを行い、完成した「きよきあさに」の“第1稿”は、1998年のイースター後の3月28日、東京聖マルコ教会(府中市)で行われたElpisの公演「復活の希望に向かって」にて初披露しましたが、演奏してみて詞と曲の噛み合わせが良くない箇所があり、同年5月15日にお仕事で神奈川県某所にいらしていたパンくずさんと落ち合い、詞の部分的な修正をお願いしました。改訂版歌詞が完成したのは1ヶ月後の6月15日、その歌詞に沿って旋律の一カ所(音符一個)も修正して“第2稿”が完成しました。

 

1998年3月28日、府中聖マルコ教会に於ける初演時の模様。

 

 “第2稿”は賛美CDアルバム『UNITY!〜サイバースペースのクリスチャンたち』に収録するため、Elpisの演奏、中野慶子さん(NHK初代うたのおねえさん、私の母親)の歌で、同年6月〜11月に渡ってレコーディングをしました。この際、秘かに歌唱指導を行った父=宮崎尚志(作曲家。聖歌206,283,295,472,554番の作曲者)は…

 道は何てつまんねぇ〜曲を書いてきたんだ、って最初に聞いたときは思ったんだけど、マミー(=中野慶子)が難しくて歌えないっていうモンだから、どう指導しようかって考えて、先に譜面見ながらCD用のカラオケを使って自分で歌って練習してみたら、感動して泣いちゃったよ。曲もいいけど、(パンくずさんの)詞が素ッ晴らしい。これは大変なモンだ、完璧な聖歌だ、道も良い作曲家になったな…とうとうライバルが出てきたって、あの時は親バカみたいだけど感心したゼェ。けどやっぱり、歌わなくちゃあの感動は得られないよ!」
(宮崎尚志・2000年8月 本人談)

…と語り、決して息子達の音楽を誉めたりしなかった父から、初めて“お墨付き”を頂いたことは、とても嬉しかった事でした。


 翌1999年3月、賛美CDアルバム『UNITY!〜サイバースペースのクリスチャンたち』(UNIVERSAL MUSIC/税込 ¥2,415-)がようやく発売に漕ぎ着け、「きよきあさに」を無事収録しました。同年7月、発売を記念してパンくずさんが地元で「UNITY! West Concert」を開催。パンくずさん自ら編曲した聖歌隊+ピアノ伴奏による「きよきあさに」が披露されました。こちらの譜面は2000年発売の楽譜集『UNITY! SCORES』に収録されました。


 尚、CD『UNITY!』収録の「きよきあさに」は、UNITY!公式サイト=CCMCホームページ(http://www.ccmc.ne.jp)の「Projectサポート」の試聴コーナー(Audio)で30秒間ほど試聴できます。

CCMCホームページはUNITY!プロジェクトの情報を発信、支援するサイトです。

 尚、CD『UNITY!』収録の「きよきあさに」は、UNITY!公式サイト=CCMCホームページ(http://www.ccmc.ne.jp)の「Projectサポート」の試聴コーナー(Audio)で30秒間ほど試聴できます。左の“CCMCバナー”をクリックすると、試聴コーナーに直接繋がりますので、UNITY!ソングリストの16曲目「きよきあさに」をクリックし、是非、御試聴下さい。






 2006年初頭だったか、聖公会の聖歌改訂委員会から急遽連絡が入り、文語調の「きよきあさに」を聖公会的に柔らかく(?!)改訂して収録したい考えがある旨を聞きました。そして聖歌集用の“第3稿”が作られることになったのですが、曲としてはカデンツの内声の動きを少しだけ整理した程度。詞についてはキリスト兄弟団の信徒であるパンくずさんは「聖歌改訂委員会には優れた詩人がいるから」と敢えて詞の改訂を委員会に一任、出来上がった改訂詞を見て「こらスゴいわ、モんノスッゴく(物凄く)パワー・アップしとる!ボクの書いた詞よりずっとえぇ〜わ!」と太鼓判をおしました。とはいえ、“第3稿”はパンくずさんのオリジナル歌詞が持っている方向性、精神性、内容を変えることをせず、より深めて力強く、どんな人でも主を信じ、主の道を歩む者は、キリストの復活と昇天による救いの栄光にあずかるべしと、直線的なまでに明確なメッセージを打ち出すことに成功しています。かくいう私も感動しました!


 曲のチューンネーム(Tune Name。「もろびとこぞりて」=“ANTIOCH”みたいな)は、委員会から自由に決めて良いとの事でしたので、パンくずさんへの感謝と親愛の情を込めて、彼のクリスチャン・ミュージシャンとしての芸名及びハンドルネームである“PANKUZU”を付けさせて頂きました。


(初版5000部はこちらの指定ミスで“PANKUZ”となっていますが、ローマ字読みのスペルのため、PANKUZUが正しいネームです)

 

 演奏について

 この聖歌は、旋律が弱拍(2拍目)からスタートします。最初の1拍目(旋律には四分休符が置かれている)は、バス声部に主和音の根音“D”が鳴るだけですが、この音のイメージは大太鼓のドーン!です。腹に響くドーン!のイメージこそ、大切にしていただきたいなぁ〜と思っている事柄なのです。つまり、この聖歌は終始、フォルテッシモで盛り上がりっぱなしで良いと思うのです。


 テンポは、行進するテンポをイメージして下さい。といってもブラスバンドのドリルのように速くはなく、ミサのプロセッションのように遅くはないのですが…。この曲の基本はマーチです。「水戸黄門」の主題歌と同じテンポだと言えば判りやすいか?わからねぇーってか。この曲に関しては、テンポ感は難しいところです。遅すぎると暗く重くなり、速すぎるとコメディーみたいになってしまいますから気を付けて下さい。


 又、オルガン奏楽で気持ちよいテンポ感と、歌で気持ちよいテンポ感には若干の差があることも明記した方が良いかも。結論としては、歌って気持ちよいテンポ感が最適です。結果、奏楽としては少しテンポ速めに弾くことになりますから、奏楽者は練習の際、まず最初に御自分で歌ってみてテンポを掴む事をお薦めします。


 和声的には難しいことは一切やってないので、パイプオルガンならフルで派手にやってOKですし、リードオルガンなら全リードを使って、オルガンをブイブイいわせましょう。イースター聖歌ですから、クリスマス聖歌に負けないように!

 

 フレキシビリティー/アレンジメント

 言うまでもないとは思いますが、演奏会用/レコード用ピースとして書いたので、この聖歌は初演の時から既にカッチリとアレンジメントされています。Elpisのオリジナル・ピースとして教会コンサートでは頻繁に演奏してきましたし、先述した通りCD『UNITY!〜サイバースペースのクリスチャンたち』(1999)に収録されている録音版が、この聖歌の“原典版”であります。


 原典版は全3節中、1〜2節は同一のカデンツで演奏しています。この部分が聖歌の譜面になった、真の原典です。最後の3節は歌い始め、最初のバス声部“D”が7拍分ペダル(聖歌では4拍分)されるだけで、全体として和声的にはさほど変わりありません。よって聖歌集に掲載されている譜面は、原典にあるイントロ、間奏、後奏、その他の様々な装飾を省いた骨格部分だと言えます。


 装飾が省かれているということは“隙間が空いている”とも言え、骨格である譜面を元に、音やフレーズを足していく事が容易です。腕の立つ奏楽者ならば、リハーモナイズ(別の和声に変えること)したり間奏を即興で奏楽しますよね? 過度に装飾を足しても旋律の力は衰えることなく、より一層派手になって、歌として映えるものとなるでしょう。それだけ隙間だらけの譜面なんだから、装飾を注ぎ込み甲斐があるでしょう。但し、何事もそうですが「やり過ぎ」には注意して下さい。


 私としてはこの曲に対して、自分で更に手を加えたり、時代に合わせてリフレッシュさせていくことは、今後はしない方針です。何故なら、最初からこのカデンツで曲は完成した状態で聞こえてきたのであり、既に自分の中でも完結しているからです、出来が良くとも悪くとも…ですけどね!

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