初演
「マリヤの賛歌」: 1999年9月11日 Elpis公演「AVACO小川清司記念奨励賞受賞記念・新しい賛美の歌
          コンサート」[於・東京聖三一教会]
           宮崎 道(指揮)、東京聖三一教会聖歌隊・加藤啓子(organ)

「シメオンの賛歌」: 1999年 東京聖三一教会・コーラルイーブンソング(歌による夕の礼拝)
            東京聖三一教会聖歌隊・加藤啓子(organ)


どんな曲かな?

S11-8「シメオンの賛歌」
この音源は1999年9月11日のコンサートで収録したものです。

 

 作曲にあたって

 AVACO(キリスト教視聴覚教育センター)の「第10回小川清司記念奨励賞」を受賞した記念に企画した、Elpisのコンサート「AVACO賞受賞記念・新しい賛美の歌コンサート」は、前半が私の作品集、後半がCD『UNITY!』の収録曲を含む新しい賛美を演奏する企画コンサートでした。このチャント2曲はそのコンサートのための新曲であり、作曲の動機は礼拝、聖歌集改訂とは無関係と私は思っていました。が、コンサートに先立って日本聖公会・東京聖三一教会で行われた“歌による夕の礼拝”で「シメオンの賛歌」が用いられ、実際の礼拝でも上手くハマったという実績があったため、結果的には「すぐに礼拝で用いることができる実用的なチャント」と判断されたワケです。


 これらの新曲を作ってみてはどうか?と提案したのは、兄の宮崎 光司祭です。「シメオンの賛歌」を選んだのは、我ら兄弟共に、新約聖書に登場するシメオン爺が好きだったという単純な理由が挙げられますが、兄としては先述した「歌による夕の礼拝」で用いる真っ新なチャントを私に作らせることを目論んでいたようです。そしてこの「シメオンの賛歌」の作曲は、後に私がミサ曲を書くハメに陥る重要なスタート・ポイントになりました。


 又「マリヤの賛歌」は、我らが立教学院(東京)で12月24日、クリスマス・イヴの晩に行われる礼拝(昔は“クリスマス・イヴの大晩祷”と呼ばれていました)でずっと馴染んできたエドワード・ジョン・ホプキンスの「マリヤの賛歌」(S8-5)に、改訂された口語体の祈祷書のテキストがまだ乗り切っていない(当時の話です)と感じていた為、試しに作ってみようというテスト・ケースに他なりませんでした。


 尚、これらに共通している“ドクソロジー”「栄光は父と子と聖霊に、はじめのように今も世々に限りなく、アーメン」は、同一の旋律を用いて欲しいという事だけは、司祭から予めリクエストがあったところです。


 「シメオンの賛歌」は“歌モノ”になりやすい短いテキストでしたので、大した苦労もなくスイスイ書き上げました。シメオン爺の安堵感、幸福感、そしてある種の達成感を、静かに表現してみました。文節(内容)が変わるところで曲も転調したり間奏が入ったりして、構成的にも祈祷書のテキストの流れに倣っています。基本的にコンサート・ピースでしたので、耳に馴染みやすい優しい旋律でまとめています。


 一方、「マリヤの賛歌」は祈祷書にあるテキストが詩(うた)になってない詩であり(天使ガブリエルのお告げを受け入れて、マリヤはこれを歌ったんでなかったのか?)、現代詩だと解釈してもまるで散文。ここはやっぱり「ラップ・マニフィカト」か? いやいや、コンサートでやるにはちょっと刺激的過ぎるかも・・・などと悩んでいたら、困ったことにリハーサルが間近に迫ってしまいました。それにも関わらず、何とか歌モノ(しかも大勢で歌えるモノ)にならんかいな、と考えておりましたら、昔ながらの普通のチャントが最も安定しているという、誠に安易な方向に帰結してしまったのです! さぁ、そこからが困った! 何と私はエドワード・ホプキンス作のマニフィカトから逃れることが出来ず、書き上がった「マリヤの賛歌」はホプキンスのものによく似たムードで、自分で見る限り、ほとんどパロディーになってしまいました。(自戒の念を込めております)


 とはいうものの、コーダとして「シメオン」と同じ「歌うドクソロジー」が付いてくることが、この「マリヤの賛歌」の大きな特徴です・・・他には特にないのであります。



1999年9月11日、東京聖三一教会聖歌隊と初演に向けてのリハーサルの模様。



 余談ですがこの時以来、「マリヤの賛歌」が歌モノにならなかったことがずっと気になって、2001年に祈祷書のテキストを若干変更し、ソプラノ独唱用の歌曲「マニフィカト」の作曲に着手しました。訳あって現在はまだ全文の作曲が完了していないにも関わらず、Elpisのクリスマス・コンサートではその前半部分が「前奏曲」として頻繁に演奏されております。バロック的なムードとチャント風の歌い方を要する綺麗な旋律を持っていますが、残念ながら会衆全員で歌うのには向いてません。

「マニフィカト」(作曲:宮崎 道/演奏:Elpis)




 演奏について - ドクソロジー

 「マリヤの賛歌」は普通のチャントなので、一定のテンポ感を持つ「ドクソロジー」への転換さえ上手く出来れば、奏楽者にとってはさほど難しいものではないでしょう。一方、「シメオンの賛歌」はキッチリとした歌モノなので、聖歌と同じスタンスで取り組んで下さい。特にテンポ指定をしてませんので、歌いやすいテンポでやっちゃってください。

 基本的には全体を通じてインテンポ(一定のテンポ)ですが、「〜万民のために備えられた救い」から「すべてのひとを照らす光〜」に至る2小節の間奏(臨時記号多し!)では少々リタルダンドかけて、「すべての人を・・・」で a tempo すると良い感じ。

 リタルダンドといえば、最後の「アーメン」もそうですね・・・言われなくても判ってるって?

 

 又、ドクソロジーの「栄光は父と子と聖霊に・・・」の部分を見て下さい。「ちちと- 子と-」となっています。“父と、子と、聖霊なる全能の神の恵みが〜・・・”と聖餐式でも洗礼式でも司祭が三位一体をキッチリ区切って唱えますが、このセンスで歌って下さい。「ちちと」、「子と」、「聖霊に〜」と区切って歌う訳です。ちなみに、作者である私の求める音譜の長さ、休符のフィーリングを、厳密に譜面で書くとこんな感じになります。


 ・・・なんじゃこりゃ??ふざけんじゃねーよ!!と言いたくなる譜面ですな。



 では何故、聖歌集の譜面では、1拍裏の8分音符が、2拍目の4分音符にタイされているのでしょうか? これは記譜の限界でもあります。例えば4分休符を2拍・4拍に入れると、1拍裏の8分音符をスタッカートっぽく歌ってしまう事を危惧してのことです。ニュアンス的には、「ちちと/子と・・・」の、“と”に当たる音がスタッカート気味だと妙にアホっぽいし、音を伸ばすと急にだらしなくなる。“と”が2拍目の中にソフト・ランディングして、言葉に自然な“間”が生まれるように歌って頂きたい。それこそがこの2つの曲で(個人的に)最も大切にしている部分であります。




 しかし記譜上は微妙なニュアンスの情報を的確に伝えるため、敢えてかなり大雑把な書き方を余儀なくされます。この場合は「伸ばす」か「休む」かの二者択一となりますが、“と”の部分をアホみたいにスタッカートさせたくなかったので、結局は休符を入れず、旋律が続いているように見せる方を選択しました。



 実地検証? - シメオンの賛歌

 先述した通り、S11-6「シメオンの賛歌」は“歌モノ”です。それはクラシック歌曲という意味ではありませんよ。“ポピュラー・ソング”のイディオムで書かれている…ということです。ポップでキャッチーなフィーリングがある面白いチャントだと思って下さると幸いなんですがね。


 「シメオンの賛歌」はコーラスが簡単に出来るように、最初ユニゾン、次に男女の二声、そして混声四部合唱へと、パートが増えていきます。ハモるのが難しい混声四部は、全体からして半分ぐらいの分量なのですよ。ですから終始メロディーがハッキリしており、礼拝で用いた場合でも全部ソロ(ユニゾン)にしちゃっても十分イケると思います。奏楽の方はガンバってね〜。


  で、我がElpisでは2010年に初めて演奏してみました。1999年以来、まったく演奏曲目に入れる隙がなかったんですが、10年ほどの間に日本聖公会で僅かながら浸透してきたのを確認したので、曲目に入れられるようになりました。私としては「ほら、普通のバラードでしょ?」という感じに提示すべくアレンジしておりますが、あざとい小細工など一切ナシの抹香勝負…じゃない、真っ向勝負です。短い曲ワリに展開が多いため、聖歌を歌うよりもよっぽど盛り上がっちゃうんだ、これが。

「シメオンの賛歌」(演奏:Elpis)
[album「Live in Osaka」 - 2010年11月10日・大阪川口基督教会]



 記譜について

 尚、作曲した1999年当時の譜面は、混声四部合唱(聖歌隊)又はオルガン奏楽(ペダル無し)用の、ごく普通の“四段”でまとめてました。しかも「はじめのように今も〜」の部分は、A-durからC-durへの臨時調性記号(転調する記号)を書き入れてありました。下記に示した譜面は、当時の譜面を抜き出したもので、一目瞭然でこちらの方が譜面がスッキリします。オルガニストにしてみれば絶対こちらの方が弾きやすいし、訓練された聖歌隊もこちらでないと却って音が取りにくいでしょう。




 ところが、いまだに譜面を読むのが得意ではない私としては、旋律(メロディー)だけですら、過去の譜面では“転調”した後は音がまるっきり取れません。特にこの2曲の「転調譜面」は奇妙に難しい。それはこの曲が本来、転調など一度もしていないからなんですよ。譜面上の見やすさ/読みやすさの追求の結果、曲が「記譜の仕方によって、あらぬ方向へ曲解されていく」のを嫌って、転調の記述を削除してしまいました。だってシメオンもマリヤも、イ長調のまんまで一度だって転調してないんだもん!シャープ3つで貫き通す、これでいいのだ。

 しかし譜面上では、ドクソロジーの後半部分におびただしい量の臨時記号が付いています。とにかく見づらいのは演奏上、問題があるでしょう。ただ、面倒臭いでしょうが一度、試しに弾いてみてください。サウンドを聞けば、あぁー、なるほど〜、と思っていただけると確信しております。でも、それでも聖歌集の(転調しない)譜面は弾きにくい…、とおっしゃるなら、上記の譜面をクリックすると拡大表示されますので、必要に応じてプリントしてご使用下さい。よろしくお願いいたします。

 

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