どんな曲かな?

 

 この聖歌は旧・古今聖歌集では第529番。「こどもさんびか」にも載ってました。ですから日本基督教団の教会の日曜学校に通っていた幼い頃、私は礼拝でよく歌ったもので、大人になっても(少なくとも)1番はソラで歌えたものです。しかし思い返せば21世紀になるまで、日曜学校以外の礼拝でこの聖歌を歌った記憶がなく、主日礼拝で用いられている現場に遭遇したことがありませんでした。で、古今聖歌集のページをめくってみると“児童”の項目に入っています。私の教会では、誰が決めたか知りませんが、主日礼拝(大人がいっぱい来てる礼拝のことです)の聖歌に“児童”の聖歌が選ばれることは、ほぼ皆無でした。例外として、日曜学校の子供たちと共にする主日礼拝の場合に歌われる、といった感じ。


 それでも、「主にしたがいゆくは」は10歳ぐらいまでしか歌ったことがなかった、「久しく歌っていない聖歌」の筆頭でした。なにしろこの曲、日本語歌詞が(文語調なんですがね)物凄くキュートに聞こえたので印象深かった。特に“リピート(おりかえし)”される部分の歌詞「みあとをふみつつ、ともにすすまん(御跡を踏みつつ、共に進まん)」を聞き間違えて…



「みなとをふみつつ(港を踏みつつ)」



 …と思っていたため、これを歌う時は必ず潮騒のイメージが脳裏に浮かんだモノです。ボーーっ!とか汽笛が聞こえたりして。しかも海兵隊のミリタリー・バンドが演奏する行進曲風の、弾けるようなノリノリの曲なのに、譜面通りに奏楽すると何故かストイックなまでの抑圧を感じる…なんかチグハグだ…そう思えて仕方なかったのです。


 話は少々脱線しますが、旧・讃美歌第368番「つとめいそしめ」も同じような印象を持っていました。こちらは“児童”じゃなく、“勤労”のページで、ベテランの信徒(年輩の、という意味ですがね)には愛唱聖歌に挙げる方も多い讃美歌です。応援歌風のタテノリの曲で、やはりオルガン奏楽で歌おうとすると、どうも曲と演奏がチグハグな感じがして、違和感が拭えなかった。



だから、これらは全然好きじゃなかった。



 話を戻しますが、児童のページだからといって「主にしたがいゆくは」が歌われないというのは、どうも腑に落ちなかった。でも大人になって改めて譜面を読んでも、歌詞はやっぱりキュートだった。「主に従いゆくは、如何に喜ばしき!心の空晴れて、光は照るよ」・・・ウフッ!・・・なんだその最後の“照るよ”ってのは! “よ”って何だよー! かっ、かっわいいぃ〜!\(^o^)/


 冗談はともあれ(?!)、とにかく私としては、きっとこの聖歌は、あまりよろしくない額縁に入れられて、長年窮屈な思いをさせられているに違いない…と考え、1997年に思い切って額縁から出してやろうと思いました。これが結果的に我らがバンド=Elpisの教会ライヴに於ける、長きに渡るハイライト・ナンバーとなり、バンドのひとつの方向性“聖歌をエンターテインメントとして提供する”ことを確立することになりました。


 何しろこの聖歌、20世紀末の流行だったテクノ・ハウス・ビートの空気を吸わせてやると、ビックリするぐらいの魅力を放って元気に走り回り始めたのですから! よって、私流のハウス・アレンジで演奏するこの聖歌は、Elpisメンバーの間では「(主にしたがいゆく)ハウス」という名で呼ばれています。故に、この聖歌は私にとって、音楽を多角的に見た時の発見、更に大きな喜びを教えてくれた1曲として、思い入れの深いものとなりました。これこそ、“神の恵み”というべきかもしれません。

「主にしたがいゆくは・う・す!」
(Album 「Live Archives1999-2004」より) (演奏:Elpis)

 

 聖歌集ではこの聖歌も“児童”のページから抜け出て、“信仰”のページに入りましたから、主日礼拝で大人も普通に歌えるものになりました。さぁ、皆さん御一緒に。「光は照るよー!」・・・ウフッ!ここんとこ、ホントにキュートだぜ。

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