特別寄稿: 『カープ・シンフォニー』のこと
第3章:幻となった「カープ・シンフォニー」
1994〜1995年の1年間、ギタリスト/歌手であるアントニオ古賀氏の活動35周年とその師匠・古賀政男の生誕90年を記念するオーケストラ・コンサート・ツアーが企画され、父はそのためにギタリスト=アントニオ古賀&オーケストラのための作品「古賀政男の主題による交響的変奏曲(ギターとオーケストラのための)」を作曲、各地の交響楽団と共演しました。広島公演は1995年8月26日、作曲者自らの指揮で、広島交響楽団によって演奏されています。父は、広島交響楽団の若々しく初々しい演奏が一際印象深かったと言いました。
2000年、広島交響楽団は「それゆけカープ」の管弦楽編曲版を、その作曲者である父に依頼します(「じゃけん!モーツァルト」で録音音源初出)。この時、電話連絡係を買ってでた交響楽団のスタッフに対し、父はそれ以前にも、それ以降にも誰にも明かす事がなかった「カープ・シンフォニー」の構想を何度も語ったとされます。
広島交響楽団との最初の繋がりとなった「古賀政男の主題による交響的変奏曲」が、誰もがどこかで聞いたことのある“古賀メロディー”を主題としたギター協奏曲であった事を鑑みると、同じ手法で「カープ・シンフォニー」を構想していたことでしょう…推測に過ぎませんが。
「それゆけカープ」の管弦楽編曲版は、きっと父にとっての「カープ・シンフォニー」への前哨戦、又はプロモーションの意図もあったでしょう。しかしその直後に癌を患い、2003年に逝去してしまいました。
宮ア尚志の「カープ・シンフォニー」は、幻となりました。
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