イントロダクション


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 生い立ち、そして作曲家になるまで

 彼は1968年2月16日に東京で生まれた。彼の父は、作曲家・宮崎尚志(Naoshi Miyazaki)、彼は日本のコマーシャル・ミュージックの第一人者だった。彼の母は、歌手・中野慶子(Keiko Nakano)、彼女はNHK(日本の国営TV)の初代“うたのおねえさん[Uta no Onesan]”(日本の国民的アイドルのような)だった。


PMM 12years

 彼の家の中には様々な楽器があった。当時は高価だったシンセサイザーもあった。そのような音楽に恵まれた環境下にありながら、しかし彼は音楽を演奏することを嫌った。その頃、音楽表現は彼の一部ではなかった。彼の興味は映画を作ることだった。制作チーム“M.M. Film”を組み、8mmフィルムやVTRで作った。時にはSORD M5を使ってコンピューター・グラフィックスを作った。

SORD m5: 古い日本製の素晴らしいPC。ビデオ映像出力を実装。


TASCAM144

 だが別のサイドで、彼は密かに、彼の父の所有するシンセサイザーとマルチトラック・レコーダーを使い、中学の時から沢山の録音をしていた。録音する時間は深夜だった。しかし5年に亙ってピアノのレッスンをしていたにも関わらず、彼は簡単なコードも弾けなかった。しかも彼はシートミュージックを読めなかった。だから聴音でアンサンブルを分析、右手だけで単旋律を弾いてオーバーダブを繰り返し、無謀にもクラシック・ミュージックを“リアライゼーション”した。


8mm Camera

 つまるところ、彼は日中には学校へ通い、深夜から明け方にかけてレコーディングをする、又は映画のシナリオを書き、そして休日には映画の撮影をしていた。彼が眠っていたのはいつだと思いますか? 勿論、授業中である!


 彼は映画監督になる夢を抱いていた、しかし彼は高校卒業の時には音楽家にシフト・チェンジをしていた。彼に何が起こったのか? 映画製作を辞めた理由は何だったのか? 彼は言う、「映画はチームワークで作る。けれど私はひとりで作品を作りたかった。私の手中に音楽があった。そう、これだ!。けれどそれはとても浅はかなイメージだった。音楽は無限の宇宙のように広かった。だから益々面白くなってきた。」


 彼は映画音楽が好きだった。それは彼が1968年に生まれたことに関連性があるだろう。1978年に、「未知との遭遇」と「スターウォーズ」(両方ともジョン・ウィリアムスが作曲)が日本で上映された。その時の彼は10歳だった。彼はオーケストラの音楽に興味を持って新旧のクラシック・ミュージックを聴き始めた。ところがすぐ後に、その興味はロック・ミュージックへ移っていった。


Guitar

 彼にはシンセサイザーがあった。そしてロック・ミュージックをやるために弟と共ににエレキギターとエレキベースを買い、ロック・バンドを結成してプレイしはじめた。バンドでの経験は彼をマルチ・インスト・プレイヤーにした。しかし彼はバンドでのステージを好きになれなかった。


Yah! Christmas

 彼は武蔵野音楽大学の教授、田辺つねや(Tsuneya Tanabe,日本人の作曲家)に師事する。作曲を勉強をするためだ。彼は楽譜ではなく自分の録音作品のカセット・テープを持参した。それは「Yah! Christmas,vol.1」というクリスマス・アルバムだった。教授はテープを聞いた後に彼に言った、「君はすぐに音楽の仕事をはじめるべきだ」。


 そのようにして、彼は勉強をしながら作曲家になった。


 映画製作から離れて…

Documentary Movie

 彼の仕事の多くはドキュメンタリーの映画、又はTV番組だった。映画製作の心得があったこの若い作曲家は、多くのドキュメンタリー映画作家から信頼を得た。同時に、彼も映像による表現方法を学んだ。結局、映画は彼を捕らえて、ずっと離さなかった。


 クリスマス、そして“Elpis”

Elpis

 長きに渡ってステージ上で演奏しなかった彼は、クリスマス・アルバムの製作によって再びステージに戻った。「Yah! Christmas」と呼ばれるクリスマス・アルバム・シリーズは、別称“音が出るクリスマス・グリーティング・カード”として知人のみに無償で贈られてきた、彼の個人的なライフワーク。それをステージで再現するコンサートを1996年に行い、そのメンバーで“Elpis”を名乗るようになった。


 “Elpis”は彼の音楽キャリアの中でも最も重要だ。そのグループはユニークなアレンジによってクリスマス・キャロルや讃美歌を演奏する。そのサウンドは彼の音楽的センスを統合している。


 讃美歌作家

Hymnal

 彼は讃美歌「こころのとびらをひらくと」を1995年に作曲、日本聖公会(Nippon Sei Ko Kai)がそれを採用した。讃美歌は日本聖公会の教会で親しまれている。彼の作曲した6の讃美歌とミサ・チャントは「日本聖公会 聖歌集」(The Hymnal of Nippon Sei Ko Kai 2006 edition)に掲載された。彼はクリスチャンであるが、讃美歌作家になるつもりはなかった。だが今、彼は間違いなく、日本の讃美歌作家の一人である。


UNITY!

 CD「UNITY! - Cyberspace Christians」(1999年にリリース)で、彼は音楽プロデューサー/アレンジャー/レコーディング・エンジニアを担当した。このCDはパソコン通信の中で製作されたプレイズソングのコンピレーションで、世界でも類を見ないCDは1999年のAVACO奨励賞を受賞した。

AVACO: 一般財団法人 キリスト教視聴覚センター


 映画音楽への帰還

 彼が作曲家としてのキャリアを重ねていくと、彼の古い友人達が彼を再発見した。その友人達は映画やTVの仕事をする、かつて彼の映画製作の仲間だった人達である。彼は言う、「私は以前、映画製作をしていたからドラマは避けていた。でも私は改心するべきだった」。


  彼の映画音楽の中で、ショートフィルム『窓』(町野弘幸、監督/2002)は日本の有名な映画祭の1つ“ゆうばり国際ファンタスティック映画祭”で入選。『楽屋 [The Dressing Room]』(町野弘幸、監督/2003)はショート・ショーツ・フィルム・フェスティバル2004で入選。『AURORA』(武田正章、監督/2010年)は“東京インディペンデントムービーフェスティバル02”でグランプリを獲得。ショートフィルム『井戸端の蛙 [Frogs on the edge of the well]』(武田正章、監督/2015年)は“中野 新人監督映画祭”で上映された。


 他の映画には、「コーラスたい♪- 彼女たちのキセキ[Chorus Tai-Kanojo tachino kiseki]」(せき けんじ、監督/2006)、「クレヴァニ、愛のトンネル[Klevani, a Tunnel of Love]」(今関あきよし、監督/2015)、「草々曲 - Sou-Sou Soul」(増本庄一郎、監督/2007)。


 交響楽

Carp Symphony 彼は2008年に広島交響楽団の依頼で交響曲「ザ・カープ・シンフォニー」を作曲した。それは1945年8月6日に原爆によって破壊された町に誕生したプロ野球チーム“広島東洋カープ”と共に復興した、“平和都市・広島市”が作品のテーマだった。この交響曲は2008年11月23日に広島で初演された。再演の要望が新聞に投稿されるほど好評だった。それから8年後の2017年1月11日、広島東洋カープのリーグ優勝を記念して広島交響楽団が再演した。(2017年8月・記)


 シンセサイザー

ARP2600 シンセサイザーが彼を音楽に導いた。だから彼はどんな楽器よりもシンセサイザーを愛する。彼は言う、「例えば弦楽四重奏又はピアノトリオではなく、特別なアンサンブルこそ私の好みだ。新しい音響の研究には興味がない。ただ私は私が聞きたいと思う音楽と音を作りたい。シンセサイザーは音に対する私の興味を十分満足させてくれる楽器だ」。


 人柄

 彼のステージ・トークは大変上手で、文才もある。人付き合いも悪くない。しかし意外にも彼はこう言う、「私は言語が苦手、今も日本語しか出来ない。それにシートミュージックもうまく読めず、私はいつも苦労している」。そのため、彼は日本語以外のメールを返事を出すのに大変時間がかかる。


 彼は公の場にあまりアピアランスをしない。特にTV出演は意識的に避ける。彼は東京で生まれ育ち、しかし31歳で都会を離れ、今は海と山の間の静かな町に暮らしている。彼は都会の喧噪が好きではなかった。「でも自然もうるさい、冬以外は」、彼は言う。


 作曲方法について

 「私はラジオのようなものだ。音楽が存在する次元にチューニングし、私はそれを聞き気に入った音をセレクトして音楽を作る」。彼は集中してインスピレーションの泉にアクセスする。だから何らかのインスピレーションを求めて海辺を散歩する必要がない。そしてその方法は、私達には完全に理解不可能である!


 いつその方法を見つけたのか?それは2006年に日本聖公会聖歌集(The Hymnal of Nippon Sei Ko Kai)のために作曲していた時だ。そして彼は言う、「この能力は特別なものではなく、多くの音楽家も同様に持っている。大した事じゃない」。彼はとても謙虚な男だ。


 アルバム製作について

 彼はほぼ一人で作品を完成させる。CDプロダクションのノウハウを活かして、彼はアルバム製作の全ての工程をする。それが彼の好きなやり方だ。


 これからどうする?

 彼はCDでアルバムを発売する予定をしない、インターネット音楽配信によってリスナーに直接に届ける。彼の音楽が世界中の人々に届く一番良い方法だ。現在、彼の最もポピュラーな作品は映画音楽だ。だが彼はそれを改訂して新しい音楽作品にするだろう。私達はアルバムが発売された時メニューの中の「ニュース」でお知らせする用意がある。


 彼の作品の著作権は彼自らが管理している。もしも彼の音楽を使用したい時、あなたは「コンタクト」メニューから電子メールをしなければならない。

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