2006年11月に発表された日本聖公会『聖歌集』に、CD『NAOSHISM』から4曲がピックアップ、(聖公会に於ける)新しい聖歌として認定されて、礼拝に用いられています。1枚のCDから複数曲がまとめて聖歌として取り上げられたのは、キリスト教会の教派間の垣根を越えて作られたゴスペルアルバム『UNITY!〜サイバースペースのクリスチャンたち』(1999)と、この『Naoshism』(2003)をおいて、おそらく他にないかもしれません。その両者とも宮崎 道のプロデュース作です。

 「聖歌集」に掲載されている『NAOSHISM』からの4曲は、以下の通りです。


CDトラック番号 CD曲名 聖歌番号 聖歌集曲名
(初行索引)
神よ力を! 477番 おそれにとらわれ
ピスガの丘 554番 あらしの日にも
13 この世に主イエスの道を伝え 206番 この世に主イエスのみちを
18 互いに手を取り祈るとき〈遺作〉 472番 ここにいのりの家がある

 第477番「おそれにとらわれ」(原題:「神よ力を!」)

 『NAOSHISM』のオープニングを飾った「神よ力を!」は、宮崎尚志の3人の息子達の作で、作者の名義は“鳥井仁呈”となっています。これは長男=宮崎 光司祭の言葉遊びによるソングライター・チーム名であり、三位一体、即ち“トリニティー(Trinity)”の事です。この名義でCDにて既に発表していたため、聖歌集でも作者名はチーム名義になっています。

 そもそもこの詞は「互いに手を取り祈るとき(聖歌第472番「ここにいのりの家がある」)」と同時に長男が飽くまで自発的に詞を書き、いざ闘病生活に臨まんとする父親を奮起させる意図で作曲を委ねたものでしたが、こちらには曲は付けられませんでした。その後、長男自身が旋律を書いた譜面を病室へ持ち込み、それを見た弟達が手を加え、コードを添えた歌譜を完成させました。和声付けは5月6日の葬儀に合わせ、次男・宮崎 道が行って譜面にしています。

 この曲は使用目的のない、作曲動機としては極めて純粋なものでしたが、結果として宮崎尚志を送る歌の1つとして用いられました。故に、作者・鳥井仁呈としては、この曲のその後の発展的展望など一切なく、最終的にCDに収録することによって、この曲は役目を終えた…という気でいました。

 ところがCD『NAOSHISM』は日本各地で聞かれ、意外なところから反応がありました。まずCDを耳にした大阪の教会(聖公会)の聖歌隊からリクエストがあり、譜面が送られます。その譜面が北海道に飛び、日本聖公会・北海道教区の婦人会大会で紹介され、道中に広まりました。北海道教区の婦人会は「神よ力を!」を聖公会の新しい聖歌として認定してほしいと、署名を集めて聖歌集改訂委員会に請願するキャンペーンを行なったという逸話があり、その結果、実際に多くの礼拝で歌われている事実を踏まえ、委員会が吟味し、若干の歌詞改訂を経て聖歌集に掲載されることになったようです。

 尚、聖歌集では曲名は明記せず、番号で呼ぶのが習わしです。ですが歌い始めの一節(初行)がサブタイトルのように扱われることがありますから、この曲は正式には「おそれにとらわれ」になった、と言って良いでしょう。又、聖歌集掲載にあたって歌詞が一部改訂されましたので、CD収録のものと同一ではありません。


2003年5月2日、横浜市立大学病院8503号室から撮影された夕焼け(撮影:宮崎 道)

 第554番「あらしの日にも」(原題:「ピスガの丘」)

 日本基督教団・葉山教会(神奈川県・葉山町が聖堂の老朽化に伴い、2000年に改築され、その建堂を記念して作曲された“葉山教会讃美歌”。葉山教会は宮崎尚志の父=宮崎豊文牧師が、森戸〜逗子海岸を見下ろす小高い山の斜面を宅地開発し、その頂上に建てた教会です(右の写真は旧・葉山教会聖堂)。森戸海岸へ海水浴に来た人達は、夕暮れ近くに海から浜に向かう折、必ず山上に夕日を反射して白く輝く十字架を見たものです。1971年に藤田敏八監督が葉山・森戸海岸を舞台に撮った映画『八月の濡れた砂』にロケ地として登場するなど、教会は森戸地域のランドマークでした。

 父を尊敬してやまなかった宮崎尚志は、新たなミレニアムを迎える年に新しくなった葉山教会に希望を託し、中村健一牧師の詞に作曲したこの曲を贈りました。曲名の「ピスガの丘」とは、宮崎豊文牧師が命名した、葉山教会の立つ小さな山・・・俗称“ピスガ台”のこと。葉山教会に至る坂道は急斜面で、昔は礼拝を守るために一張羅で毎週ハイキングするが如し。故に、俗称“決断の坂”と呼ばれています。

 澤 邦介司祭(2008年2月に逝去)は、この曲をこよなく愛した一人でした。澤司祭は聖公会の旧聖歌集である1959年の「古今聖歌集」の編纂に携わり、1984年には古今聖歌集増補版編集委員会の委員長も務めた、いわば現代の日本聖公会聖歌の生き字引のような司祭で、達者なオルガニストでもあり、その昔は一人でミサの司式と奏楽をやってのけた経験もあったとか。実は澤司祭、大変ユニークなキャンペーン及びマーケティング・リサーチを独自に行う方で、素晴らしいと思った聖歌を見つけると直ぐに人に触れ回る、時には外国聖歌を自ら訳詞して譜面にして配る。普段はこうして人の反応を見ることで調査していたのに、CD『NAOSHISM』を聞いて「ピスガの丘」を痛く気に入り、普段とは違って聖歌集改訂委員に直接「これは入れるべきだ」とプッシュしたとか。それと同時に広報活動も約2年間に渡って地道に行い、最終的に改訂委員会が納得する実績を上げたという話が伝わっています。故にこの聖歌は、澤司祭のキャンペーンなくして聖歌集に取り上げられなかった1曲だと言えます。

 葉山教会としては、日本聖公会の聖歌集への掲載を快く承諾して下さったとのこと。しかし葉山教会は現在も礼拝に於いて文語訳聖書を拝読しているため、「ピスガの丘」の原詞も文語調で書かれていましたので、“言い直し”程度の改訂を行って、聖歌集に収められました。故に、聖歌集掲載の譜面と、CD収録のものとは同一ではありません。

 実はこの歌はCD『Naoshism』に収録されるまで、年に一度の建堂記念式の中だけで歌われてきたそうで、葉山教会外に出たことがなかったようです。聖公会聖歌集に掲載されたことで初めて公に陽の目を見た形になり、目出度く世界中の教会で礼拝で自由に用いたりすることが出来るようになりました。

 尚、Nakamura Motokoさん製作のポストカード集「葉山教会の四季」に、「ピスガの丘」の素敵なデザイン譜面があります(写真右上)。葉山教会だけで売っています。(現在は販売完了している模様です)

 第206番「このよに主イエスのみちを」(原題同じ)

 香蘭女学校の学生が書いた詞に作曲した歌曲集『ナオシのクリスチャンソングス』(俗称。曲集は未発表)は、多様な音楽スタイルを内包するバラエティーに富んだ曲集です。その中で唯一、聖歌の形式で書かれていたのが「この世の闇路を照らす光」でした。曲はそのままに、その歌詞を“原典”として、長男が逝去者記念日の聖歌として新たに書き改めたものがこれです。年に1日だけの逝去者記念日礼拝のための聖歌は少なく、その日のための新しい聖歌を書く人もなかなか居ません。故にこの項目の新しい聖歌として、この曲は大変貴重なものとなり、聖歌集に掲載されることになりました。奇しくも宮崎尚志は、日本聖公会聖歌集に於いて、専門的聖歌作家でなければなかなか書かないであろう「結婚」、「葬儀」、「逝去者記念」という3項目の聖歌を書いている、奇特な作曲者となりました。

 尚、『ナオシのクリスチャンソングス』から聖歌集に載ったのは、これ1曲だけです。しかし“クリスチャンソング”という名称の示すとおり、一種のゴスペル・ミュージックというべきものですが、聖歌でも讃美歌でもクリスチャンミュージックでもゴスペルでもない「キリスト者の歌集」として、全ての音楽要素を曲毎に内包させたものを、あくまで自発的な衝動で作ったに過ぎません。こうした多ジャンルに渡る音楽的要素を力尽くで1曲に集約するのではなく、沢山の小さな曲に振り分けた曲集を編むやり方は、2000年の長大・巨大な祝祭オラトリオ『ミレニアム植樹祭 in 大分』にも見られる“多様性の一致”であり、晩年の宮崎尚志のお得意のパターンとなっています。

 聖歌集には、CD『NAOSHISM』に収められている歌詞から更に改訂されて掲載されています。尚、聖歌集の譜面は、次男・宮崎 道が2003年5月に和声付けを行ったものから変更はありません。

 第472番「ここにいのりの家がある」
   (原題:「互いに手を取り祈るとき〈遺作〉」)

 この曲と「神よ力を!」は姉妹作ともいうべきもので、長男が詞を書き、父親に作曲を委ねたものです。こちらだけが作曲に着手され、結果として絶筆となった未完の作を、次男が補作して完成させました。曲についての詳しい事柄は、宮崎 道のサイト「Peter宮崎 道のやけくそ聖歌作家」ご覧下さい。