2006年秋、SOGAKU事務局宛てにメールが一通届きました。中学生の頃、SL車内での人間模様が描かれた印象的なCMで流れていた「人間が大好きだ」とリフレインする歌が大好きで、もう一度聞きたい、観たいとずっと思い続けていたところ、フと思い立って片っ端からインターネット検索、当Naoshismホームページに辿り着いたとのことでした。やった!あの曲の作曲者のサイトがあった!と喜び勇んでメールを出したその方は、丹波篠山にある「崑の村」の副村長にして、かの大村崑さんの息子さんであられる岡村純治さんでした。岡村さんは、この名曲に込められたメッセージは、21世紀の現在でこそ必要なものだと強く主張されています。そしてこの曲を今も覚えている多くの人々が存在する事も教えて下さいました。更に「人間が大好きだ!」の単独のホームページを是非作ってくれまいか、とのご要望付き。

 「このCMフィルムの卓越した演出、出演者たちの自然な表情と演技、それを見事に繋いで見せる編集の巧みさは、技術的には非常に高いレベルにある。それに増して歌に乗せられたメッセージの尊さ、それを歌い上げる歌声の強さ、それらを包み込む宮崎尚志さんの音楽の素晴らしさにより、世界一短い名作ドラマが完成したと言っても過言ではない。今、同じフィルムをもう一度オン・エアしても遜色なく観られるであろう、時代を超越したCMだと断言する。」 といった内容を、岡村さんは静かに熱く語り続けました。

 そんな岡村さんの「人間が大好きだ!」への、かくも長く深い想いに感動した私達SOGAKU一同は、「宮崎尚志のフィルムケース」を開設するに至りました。

 コミュニケーション 〜 時代とメッセージ

 「人間が大好きだ!」に関する文書は何も残っていません。よってほぼ全て、生前の宮崎尚志との談話からSOGAKU一同が製作過程等を時代背景と共に紐解いて構成する他なく、故に完璧な資料には程遠いものであることを予めご了承下さい。

 さて、この曲の作詞は阿久悠さんですが、内容については“自分の思いを反映したものだ”と宮崎尚志は生前に語っています。

 戦争をやめよう!戦争反対!と叫ぶ事は容易い。当時、“平和のための運動”の名のついたデモは何度も見た。だが平和を訴えているハズの一般市民(デモ隊)が警官隊に殴りかかって乱闘になり、血を流している場面を見るにつけ、何か別のモノを力尽くで“奪い取ろう”としているように感じていった。確かに「自由」というものは“闘って勝ち取る”ものだ。だが「平和」は奪い合って得られるものだろうか?その現象の根本は、数多の戦争と何ら変わりないではないか!

 それ以来、ニュースになる“目に見える平和運動”のほとんどが、概して正しいものではないと疑うようになってしまった。何故なら多くのそれはコミュニケーションが欠如し、結果として互いに自分たちの主張を強引に押し通そうとする行為になってしまった、と感じたからだ。

 日本には国教がない。だから一つのコモンセンス(国民に共通した生活様式や理念)がなくなってしまった。共同体として生きる上で、共通の定規、言い換えれば尺度がない…。しかし、だからといって人間が人間でなくなる事はないとボクは信じる。故に、人間本来の在り方を見直すべきだと考えた。至極立派な目標を掲げて走る前に、自分の足下を一旦、見てみることが必要だ。

 コミュニケーションが足りていればモメなくても良いことは多いはずだ。1つのことに対する共感、喜び、悲しみ等も、いわばコミュニケーションの1つだ。万物の霊長たる人間の明かな優位性は、コミュニケーションによって全く違った生き方の人間を許容したり、異なった文化や信条を共有したり出来ることにある…。こういった事を歌に出来ないかと阿久 悠氏に話したら、すぐに素晴らしい歌詞にまとめてきてくれて、とても感動した。

(宮崎尚志・談/2000年)

 三菱グループの企業CMソングとして作られる事になっていたこの歌は、1973年に作られています。世界史的にはベトナム戦争からのアメリカ軍撤退(パリ協定・同年一月)が行われたにも関わらず依然ベトナムは紛争状態にあり、第四次中東戦争(同年10月)によって石油ショックが引き起こされ、日本ではトイレットペーパーや洗剤のために奥様方が連日、スーパーやデパートなどで熾烈な争奪戦を繰り広げた年に当たります。又、その前年1972年5月には沖縄の日本返還、翌年1974年には“非核三原則”によって佐藤栄作(元首相)がノーベル平和賞を受賞。高度経済成長期にあった日本であっても国際政治的には激動の時代、世界はまだまだ紛争の火種があちこちで燻っており、扇いで風を起こせば大火事になるような地球でした。

 その中にあって三菱グループのCM「人間が大好きだ!」は、国家的、政治的ではない、歌詞にある通りの“一人と一人”による世界平和への道を、お茶の間に向けて発信するというブっ飛んだCMとなりました。その思想の根底にはキリスト教の福音書(聖書)があり、人間が分け隔てなく同じ場に集う“平等”の精神が強く見られます。これはNAOSHISM的にいえば「世界平和実現への1つの方法論をお勧めするCM」ということになります。1970年代初頭のCMとは、ただ商品を宣伝するために使われていたのではなく、「CMは人間が幸せに、勇気をもって生きる力を共有しようとの呼びかけであった。」(「CM理論・メモ」より) の通り、メッセージを発信する媒体でもあったことを証明するものです。

 音楽的に最も興味深いのは、この何気ない歌の中には政治色、宗教色、広告としての企業倫理などが一切なく、反戦色等もからっきしないにも関わらず、時代的に明確なプロテストソングであったことです。誤解を恐れずに言うならばジョン・レノンの「イマジン」(1971)と同傾向を持ちながら、フォーカスをより身近な事柄に絞ったと言えます。結果、現在では平和を求める能動的な歌として聴くことが出来ます。

 又、岡村純治さんによれば、1973年は国鉄(現・JR)がSL(蒸気機関車)の運行の取り止めを3年後(全面撤廃は1976年)に控えてか、一大SLブームが巻き起こったそうで、当時の少年=岡村純治さんもご多分に漏れずSLが大好きだったそうです。それで最初に流れた「人間が大好きだ!」のCMは、その世相を反映して、走るSLの車内での外国人と日本人の言葉を越えた交流を描いたものになったのかもしれません。又、三菱グループとSLの関係性については良く判らないが、SLによくMITSUBISHIのロゴが付いていたのは記憶しているとのことで、そのために敢えて、3年後に日本から消えゆくMITSUBISHI製のSLを用いた設定になったのでしょう。

 SL編

 1973年にオン・エアされた第1弾で、90秒CM。セリフ一切なし、効果音も時折入るSLの音だけ。内容は、簡単に言ってしまえば「スルメ」です。歌は1番(1コーラス)が披露されています。

 音楽の編成は生ギター×2、エレキベース、ドラムスにブラスセクション、ストリングス・セクション、女声コーラスというかなり大編成。宮崎尚志曰く「ボクの録音には、いつも日本最高のセッション・プレイヤーを集めたのさ。だからサウンドは最高、その代わり費用は膨大!!」。その言葉の通り、ロックンソウルなボトム(Dr+B)のスキルの高さは世界メジャー・レベルです。そのロック・オーケストラをバックに一歩も引けを取らないパワーで歌い上げ、繊細な表現までダイナミックに聞かせるボーカリストは元ザ・ビーバーズの成田賢さん。時代を超越するオリジナリティー溢れるサウンドに仕上がっています。

 フィルムは、山野を勢いよく走るSLの空撮映像から始まります。その列車で朝市のおばちゃんが空いた席を探して歩いてくると、空席を知らせるべく手招きをする外国人の男性(白人)が。車内ではビールを一杯やっているオッサン、フザケ合う男子二人兄弟を連れた若い四人家族、帽子をかぶって髭を生やした洒落た出で立ちのオヤジさん、修道女(シスター)、寄り添って眠りこける新婚さん(新婚旅行か)、当時の“ヤング”をシンボライズする“ギターつま弾くフォーク野郎”などが映し出されます。世代、宗教、生活環境の異なる大勢が一同に介し、疾走する列車の中で、たった一人の外人、その前に座った朝市のおばちゃん、その隣には制服姿の女学生。

 朝市のおばちゃんは、おもむろにおにぎりを取り出すと、外人は珍しそうに覗き込みます。おばちゃんが「おひとついかが?」と差し出すと、外人は「いえいえ、結構デス」といった仕草。ところがここから、おばちゃんの絶え間ないサービス攻撃が開始。次から次へと野菜や果物を差し出すと、サスガに困った外人は「たのむよ勘弁してよ〜、キリがないんだからね、まったく」といった表情で丁寧にお断り。隣の女学生は辞書と首っ引きで何とか言葉で伝えようとするが努力虚しく、互いに焦るばかり。SLは鉄橋(川?)を渡り、石炭は勢いよく火の中にくべられる。

 そこでおばちゃんが差し出したスルメイカ、外人は「うわぁー、なんなんだこりゃー!」と興味津々。これに周りの乗客達が一同に反応、外人が堅いスルメに凄い形相でかじりつくと、車掌さんも含めた全員で大笑い。スルメが上手くちぎれると、やんややんやの大喝采、車内は笑顔溢れる明るいムードに。ただ一組、新婚さんだけは相変わらず眠りこけている、そんな各々の人間模様を抱えて、SLはひたすら力強く走り続けます。

 カット数は全44カット、僅か90秒で立派にドラマが完結しており、その手法の巧みさには製作したフィルムメーカーの高いセンスが光ります。そのフィルムに躍動感溢れるCMソング「人間が大好きだ!」が組み合わさって、ドラマに奥行きが与えられ、より深く、より大きなスケールのものに化学変化を起こしています。

 川釣り編

 1974年にオン・エアされたと思われる(未確認)第二弾で、90秒CM。セリフ、効果音一切なし。キーワードは「帽子とヤング」です。歌は2番(2コーラス目)が披露されています。

 音楽は第1弾からブラス・セクションとコーラスを抜いた編成。冒頭は拍アタマにコードを奏でるだけの生ギターとクルス・ブルンネンさんのアンニュイなボーカルだけで、静かに始まります。アレンジはブルンネンさんの歌声の質に合わせて、全体的にフォーク・バラード風にリアレンジされています。不思議とこちらのバージョンの方が“時代”を強く感じさせるものであり、別の言い方をすれば当時の世相を切り取った「CMらしいCM」ということも出来ます。

 フィルムは粋なクラシック・カーに乗った4人のヤングなフォーク野郎達(またしてもフォークギターを携えている!今度は白いギター!)が土手の道を走るカットからスタート。川辺では大勢の老若男女が川釣りを楽しんでおり、フォーク野郎達もそこで車の手入れをしながら釣り糸を垂れております。ヤングの中には女性もおりまして、車にかかりっきりの男性陣の脇で暢気にGパンに履き替えている最中、川辺にいた白い帽子の男の子の呼ぶ声がします。気がつけばヤングの竿に何かかかった様子。Gパンを半分だけ履いたまま慌てて飛び出したヤングな女性は案の定、足がもつれて川の中に頭からダイビング!大勢の釣り人の笑われながら釣り上げたのはナマズみたいなヤツ。女性は付け睫毛やマスカラ落ちて、見るも無惨に真っ黒な目元!(今のマスカラは水に濡れても簡単には落ちませんから当時を偲ばせます)。

 強い風が吹いて、男の子の白い帽子が飛ばされ、川の中に落ちてしまいます。慌てた釣り人たちは全員で釣り竿で帽子を引き寄せようと懸命に努力しますが、帽子はどんどん水に沈んでいきます。更に天候が急変、突然の夕立に見舞われて、全員荷物を片づけて各々雨宿りをするハメに。帽子の男の子は両親と一緒に赤いマイカーの中で雨宿り。その表情は大切な帽子への未練で悲しい顔をしています。

 暫くして川辺からびしょ濡れで男の子の乗る車に駆け寄ってくるヤング達、その手には川に落とした白い帽子が。男の子にも満面の笑顔が戻り、めでたしめでたし。最後のカットは広大な田畑を空撮したものでした。

 全52カットで、第1弾以上のカット数。フィルムのテンポ感は前作とは比較にならないスピードです。しかも前作では希薄だった“時間経過”が明確にドラマに付加された上、川辺でのオール・ロケのため、よりドラマティックでダイナミックなフィルムに仕上げています。そこに逆説的なまでにスローなフォーク・バラード調にスタイリングされたソング「人間が大好きだ!」を乗せる事で、作品に冷静な客観性を与えています。宮崎尚志のいうところの「CMの音楽は単にフィルムやビデオ映像のバック・ミュージックではなく、CM音楽としての科学をもたなければならない。映像と音楽の結び付きはエイゼンシュテイン監督の『二項対立』の理論を持ち出すまでもなく、その原理原則を離れて考えることはできない。」(「CM理論・メモ」より) の実践として捉えることができます。

 幻のCD化、残された数ある秘蔵録音

 1980年代に2枚組レコードでありながらヒットとなった企画コンピレーション盤『懐かしのCM大全』から約10年ほどでしたか、同じプロデューサーが1990年代にCDシリーズで、しかもバージョンアップしての企画盤『懐かしのCMソングス』を製作する際、再び声が掛かった宮崎尚志は秘蔵のマスターテープを数多く蔵出ししました。実際に収められたのは「コカコーラの唄」、「三越ハウス」、「ピンキー」、「ライオネスコーヒーキャンディー」、「丸大ハム/わんぱくでもいい編」等、限られたものでしたが、プロデューサー宛に送られたテープの中には伊勢の「赤福餅の唄」、カルピスの「おさかなの国(Bubble, Bubble, Bubble, Boo)」、丸大「プレスハム(Good Mornin' Good Mornin' 目玉、目覚めてますか?)」等に交じって、「人間が大好きだ!」を含む歴代三菱グループCMソングが含まれていましたが、残念ながらCDへの収録は叶いませんでした。よって世の中がデジタル記録メディアに移行してから、この曲は一度も披露されていないことになります。

 さて、このソング「人間が大好きだ!」は、宮崎尚志がまとめていた自作集カセットテープ『Naoshism』に幾つかのスタジオ録音版が収められていました。


SL編・・・・・・・・未発表/モノラル
SL編・・・・・・・・On-Air版/モノラル(イントロに汽笛を模したブラスサウンドをオーバーダブ)
川釣り編:1番・・・・未発表/モノラル
川釣り編:2番・・・・On-Air版/モノラル
フル・コーラス版・・・歌・黒い河/ステレオ
最新・自宅録音版・・・歌・中野慶子/ステレオ/録音:1980年代



 以上が宮崎尚志が人に聞かせたり、家族に聞かせたりした「人間が大好きだ!」のスタジオ録音版の全てでしたが、作曲者没後、膨大なオープンリール・マスターテープの中から、別の録音版を発見しました。“オーディション”と書かれたもので、宮崎尚志の「CM理論・CM用語とその周辺」によると“audition: CM作品の競合・競作”だとのこと。つまり、いわばクライアントにプレゼンテーションするためのデモ録音です。このテープによって「人間が大好きだ!」の製作の足取りが、ほんの僅かながら解明されてきました。

 ここにはA, B, C, Dの4タイプ(4曲)が収録されていました。全て阿久 悠さん作詞の、同じ歌詞が歌われています。

 興味深いことに宮崎尚志はその中でA, Bの2タイプ(2曲)を作曲していました。C, Dタイプは別の作家によるものと思われます。単独で受けた仕事の場合、最低3タイプ以上を提示するのが宮崎尚志の常で、全てボツった場合には更に2〜3タイプの別の曲を作って提示するというやり方を徹底して貫いており、中には1つのCMで1回の通し録音で、全くイメージの異なった10曲もの録音を残しているテープも存在します。そういう点で「人間が大好きだ」に於ける2タイプというのは(曲数としては)少なく、このCM音楽が大きなコンペだった事を伺わせます。

Aタイプ  採用された曲。ここで既に成田賢さんが歌っています。編成はストリングス・セクションの代わりにハモンドオルガンが入っている以外は、アレンジも本番テイクのものにかなり近く、この時点でほぼ完成形を成しています。
Bタイプ  ドシン!ドシン!と重たいビートに乗ったブラスセクション入りのパワー・ポップな曲。アレンジが凝っていて、ボツになってしまったのが少々もったいないほど。何故か最後はフェードアウトする。歌はやはり成田賢さん。Aタイプと同じセッションで録音されたと思われます。


 このように宮崎尚志は、最初の段階から成田賢さんの歌でいくことを主張したことは音楽を聴けば一目瞭然です。一時期、日本歌謡シーンを離れて英国に渡った経験もあるこの不世出のボーカリストに、心底惚れ込んだのです。

 結果としてAタイプが選ばれて正式に録音され、フィルムが作られ、そしてオンエアされて高い評価を得ました。企業CMとて2年連続で同じ曲を使う事自体、三菱グループ側のこの曲に対する好感度の高さを物語ります。1975年には三菱グループの新たな企業CMに再び阿久悠&宮崎尚志のソングライターチーム、ボーカルは成田賢さんが起用され、「僕のそばへきませんか」を発表、このCMで全日本シーエム放送連盟=ACC(All Japan Radio & Television Commercial Confederation)の主催する“1975年度ACC - CMフェスティバル”に於いて、テレビ部門での作曲賞を受賞します。この受賞について後に宮崎尚志は「本音としては『人間が大好きだ!』でこの賞を貰えたらよかったなぁ〜」でした。



 情報の誤りによる訂正について

 このページは2007年5月8日に改訂致しています。成田 賢さんの「1972年の帰国」についてご本人から連絡頂き、「ドラッグで記憶喪失になり英国から強制帰国」と言い伝えられる成田賢さんの履歴は、当時の雑誌のゴシップ記事が出典であり、それが訂正されないまま現在に至っているのだそうです。これはヒドイ話です。よってその記述のあった箇所を訂正しました。ナリケンさん有り難う御座いました。