日本音楽の探求と考察

 私達“ミヤザキ・ブラザーズ”(Paul Hikari Miyazaki and Peter Michi Miyazaki)は、2017年7月16日から20日にかけてカナダ・オンタリオ州ウォータールーで開催された、アメリカ/カナダのThe Hymn Society Annual Conference 2017に参加しました。トロント大学エマニュエル・カレッジのスイホン・リム先生の招きにより、私達が現在進行形の日本の教会音楽の取り組みについてプレゼンテーションするためです。

 日本の教会音楽の現状を紹介するだけなら、とても楽だったでしょう。世界はそれほどまでに日本の教会音楽の事情を知らなかったからです。しかし私達は敢えて、日本の音楽とは何なのか?日本のメンタリティーとは何か?そして、それらと教会の音楽と、如何にして折り合いを付けるのか?といった問題に向き合い、ひとつの参考例を持参してカナダに乗り込みました。

 そこに至るまでの経緯

 遡ること1年前、2016年の夏、日本讃美歌学会はスイホン・リム先生(Dr.Swee-Hong Lim; Professor of University of Tronto,Emmanuel College)を日本へ招き、東京と奈良の2箇所でカンファレンスを行いました。この時、スイホン先生は日本のHymn Writer達に会い、日本の教会音楽が「独自の進化」を遂げていた事実を知って驚きました。

 世界的に最も知られている日本のHymnは「世界の友と手をつなぎ[Sekai no Tomoto]」(英語詞名:Here,O Lord,Your Servants gether)の僅か1曲だけです。『讃美歌21』に収録されているものの、日本ではほとんど歌われていません。ですが世界はそれを「日本を代表するHymn」として、長い間認知してきました。このように互いの情報交換が出来ていないために、世界は日本の教会音楽のリアルについて知ることが出来ませんでした。しかし実際の日本の教会音楽は多様な音楽的エッセンスをミックスした、非常に豊かな音楽的土壌を有している事を知ったスイホン先生は、今、日本は世界中が注目している国なのだから、ワールドワイドに発信していくべきだ!とカンファレンスで力説しました。

 そして2017年、スイホン先生が実行委員を務めるThe Hymn Society(in Canada and US)の大会に、日本の教会音楽、特に日本聖公会の音楽のリアルを伝えるため、私達ミヤザキ・ブラザーズを招きました。兄の宮崎 光司祭は日本賛美歌学会のサブリーダーを務めていることもあり、その人選は妥当だと思えました。そして私達はジェットに乗ってカナダへ行く事となったのです。

 しかし正直に言えば、私は全く気乗りがしませんでした。私は飛行機での「旅」が大嫌いなのです。空の旅は短時間でも体調が崩れるため覚悟が必要で、できるだけ避けたい事柄でした。しかし2年前、私が作曲した「重荷背負う人に」(日本聖公会聖歌集第番)を、アメリカの著名なHymn Writer、ダン・デイモン(Dan Damon)が気に入って、英訳詞を付け、HOPE Publishingからの出版を待っていると知っていたので、せめてダンに会いに行こうと、嫌いな飛行機に乗りました。勿論、スイホン先生との再会も楽しみでしたが…。

 プレゼンテーション

 The Hymn Society Annual Conferenceはまず、180ページに及ぶ楽譜集を渡され、5日間で全曲を歌い切る「讃美歌アスレチック」でした。参加者は日頃から教会音楽に従事している方々ばかりで、初見でありながら4声のハーモニーを形成し、そのサウンドは巨大な聖歌隊となりました。

 ミヤザキ・ブラザーズの出番は、開催初日の「Sectionals(分科会)」。同じ時間帯に6つの部屋で興味深い催しが行われていた中、日本から来た私達の会には30名ほどが集まりました。全参加者の約1/10の人数です。著名なHymn Writerであるカール・ダウ、ダン・デイモン、ベンジャミン・ブロディーらが来場して下さいました。

 兄はまず、日本のキリスト教信者が全人口の1〜2パーセント、200万人程であることから話しはじめ、日本独自の教会音楽の創作が如何にして始まり、発展の歴史のアウトラインを説明した後、特にミヤザキ・ブラザーズの属する日本聖公会の教会音楽の取り組みについて、私と兄とのコラボレーション作を中心に実演をしました。歌うのは会場にいらっしゃった参加者たちです。彼らは楽譜を見れば即歌え、ローマ字表記の日本語でも楽々と歌ってみせました。

 実演した曲目は聖歌「重荷背負う人に」(作詞:山野繁子司祭、英詞:Dan Damon)、ミサ曲「キリエ」、紙芝居『クリスマスのできごと』から2曲、『こどもの聖歌(試用版)』から「小さな平和をつなぎあい(9-1,2,3)」(作詞:植松頌)。そして今回、先述した“参考例”としてミヤザキ・ブラザーズで書き下ろした新曲「Sakura Saku - Jesus makes no answer」。

 日本の音楽に関する考察

 アメリカ/カナダのHymn Writer達は、西洋音楽のテイストを“Western”と表現し、世界の教会音楽がWesternのままであることを懸念していました。それは、世界各国にイエス・キリストの平和が根付くために、各国の文化と融合しやすい「音楽」こそが最も重要な要素であって、各国独自の音楽性と融合した新しいHymnを世界中で共有することによって、キリストに繋がった人々が1つになれるのではないか?という考え方です。では日本の状況はどうなのでしょう?

 私達は日本史を紐解きながら、雅楽などの「日本の伝統音楽」が日常的に聞くものではなく、又、大衆音楽の「演歌」等も教会音楽には用いられていない現状を説明。その1つの理由として江戸幕府の鎖国政策、そして禁教令と隠れキリシタンに触れたものの、本来、日本の風土に結びついた音楽と教会音楽との融和について語る上では、「日本固有の音楽は存在するのか?」という根本的な問題を解き明かさねばなりません。しかしその点について、日本史的にも明らかではないのです。現存する日本の伝統的な音楽の原点はモンゴル、中国、朝鮮など、大陸から輸入されたものだとされています。

 そのため、私達はプレゼンテーションではこの点については深く言及せず、日本のキリスト教会音楽の歴史に絞りました。フランシスコ・ザビエルの来日によるキリスト教伝来以降、日本でも細々とオリジナルのHymnなど教会音楽が作られてきた歴史に触れ、そして、先人らが撒いた種は長い年月をかけて実り始めており、故に日本の教会音楽はまだ「旅の途上」にある、と論じました。

 日本のメンタリティー

 振り返って、日本は独特な国です。スイホン先生が驚いた「独自の進化」とは、即ち「ガラパゴス化」であると言えます。日本は、たとえ世界で新しい音楽スタイルが産まれたとしても、古いスタイルを捨ててまで「総入れ替え」をしません。必ず、過去と現在が繋がっているものでないと、日本人は容易に受け入れません。よって進化(変化)は唐突に行われるのではなく、時間をかけてゆっくりと行われることになります。それは世界時間とは異なります。又、進化の結果も異なります。自動車産業をみれば、それが判るでしょう?

 私は、それが「日本人のメンタリティー」だと肯定的に捉え、それが日本の独自性だと考えました。日本産の土着の音楽文化遺産の現存が確認できていない以上、日本音楽のルーツに根ざした音楽は存在していたものの、どこかで途絶えてしまった…と考えれば、現在の日本の音楽情勢と繋がります。

 かつて日本を「根無し草」だと言った人がいました。もしかしたら日本を揶揄する言葉だったのかもしれませんが、それは正しいと思えます。根無し草だからこそ、時代の空気をダイレクトに呼吸し、あらゆるもの受け入れながら、自分なりの成長と発展を繰り返してきた…と考えました。そこには必ず「自分に合うものを取捨選択」があって、今に至っているのです。

 だから私は、自らを「日本音楽のルーツに根ざした音楽を作ることができない日本人」の一人であることを強調しつつ、日本は何事も輸入に頼っているにも関わらず、「自分が好きなものをよく知っている民」であり、「好きなもの取捨選択するセンスに日本の独自性が生まれる」と論じました。西洋が「古きもの」として失ったものでも、日本は「良きもの」として長い期間、残す事があります。時代錯誤であってもお構いなし。そういう「良いものを大切にする心」が、日本には昔からあるのです。それが時を経て、多くのクリエイターの手も経て磨かれていく過程で、Westernのエッセンスが変化してJapaneseになるのだ、と。

 そして私はこう言いました。「だから、たとえ私が如何なる曲を作ったとしても、すべて“日本のメロディー”だ」。

 SAKURA SAKU

 日本に馴染みのあるイエスのイメージは、白い衣を着た白人ではないでしょうか?本来、パレスチナ地方出身の男性なのに。これもWesternの一例ではないでしょうか。キリスト教を日本に伝えたのは西洋の人々でした。西洋の人々は時代に先駆けて、イエス・キリストのイメージを「我らの主」として、敢えて自分たちに似せて描きました。イメージの置換は、既に1000年以上も前から西洋では行われてきたのです。

 日本に於いて、キリスト教はそんな西洋からの影響が多大にあります。キリスト教伝来以降、日本は西洋化されたイエス・キリストのイメージをずっと保持し続けていると言えます。それは悪い事ではありませんが、それだけでは「舶来宗教」のまま変わらないのではないか?イエス・キリスト直伝の「主の祈り」の冒頭に呼びかけられる「我らの主」は、「外人さんの神様」という世間的な誤認を変える事が出来ないのではないか?

 ならばイエス・キリストのイメージを、日本的に置換してみようと私達は考えました。その上で、新しい讃美の歌を作るのです。

 新曲「Sakura Saku - Jesus makes no answer」は、歌詞と曲の両面から、日本人にポピュラリティーのあるイメージで新しい讃美歌を作ってみる試みです。一気に咲き乱れ、時が過ぎれば一気に散ながらも、再び春がやってくるとまた咲き乱れる桜の花と、十字架の死から復活するキリストの背中を重ねあわせ、時代劇(Samurai Drama)のイメージで綴った英語詞を兄が書き、私が日本歌謡曲に通じる印象を持つ曲をつけました。私はそのイエスのイメージを“Samurai Jesus”と表現しました。

 勿論、現代日本では、サムライは歩いていません。独特のヘアー・スタイル=“ちょんまげ”をしているのは相撲の力士だけです。イエスが生きていた時代、まだ日本には国家はありませんでした。だから、サムライとイエスを結びつけるべき根拠は完全に無いのですが、けれど時代劇(Samurai Drama)は常に人気があり、日本人の多くが視聴しています。又、歴史上の人物や刀剣などにイケメン・イメージを付加して遊ぶゲームが人気です。

 それで、私は何を得たのか?

 The Hymn Society Annual Conference 2017に参加して、私は自分がかつて考えていたよりも、世界はずっと小さかったと感じました----少なくとも私の場合は。そこはひとつのコミュニティーでした。教会音楽家たちの向かう先は同じでした。明らかに“同志”が集合していました。皆、やり方は違いましたが、それで良かったのです。そこに競争原理はありませんでした。ですがマーケットが確立しており、ビジネスが成立していました。たった1つだけ理解した事は、心を一つにして声を合わせて歌えば皆で素晴らしい時間が共有できるという、至極当前のことです。人間の声は本当にスゴいんだなと思いました。

 私の兄が論じた通り、日本の教会音楽は始まったばかりで、旅の途上です。日本には多くのHymn Writerが存在しますが、お互いに知らない同士。教会音楽家は、日本にも沢山います。別に音楽の学位を修めた人でなければいけないワケでもないでしょう、この私だって学歴は全くありませんからね。全ての教会に呼びかけて教会音楽に携わる方々を引き合わせ、Japanese Hymnを更に豊かに、広がりを持たせていく事ができたら楽しいでしょうね。これからは、日本讃美歌学会にはもっと頑張ってもらいましょう。

 この旅で、日本とアメリカ及びカナダのThe Hymn Societyの間のパイプはより強固に、太く繋がったのですから。

 個人的追想

 1999年の話です。私はパソコン通信(PC comunications in Online Service Providor; pre-internet)で知り合ったクリスチャン達と共にゴスペル・アルバム『UNITY! - Cyberspace Christians』を製作しました。クリスチャン・ミュージシャンが自発的に参加し、教派を超えたエキュメニカル・ゴスペル・アルバムを完成させる目的で立ち上げた企画でしたが、製作は困難でした。教派間の相違は根深く、激しい対立もあったのです。キリストに繋がれた民同士が、1つに結び合わされることを拒まなければ生きていけない「人間の事情」を垣間見ることになりました。しかしアルバムを完成させ、世に出してみると、長い間反目しあっていた教派同士が水面下で融和への道を模索していたり、異端と呼ばれていた或る教派の作った讃美歌を聴いて感激する人が続出したり、思いもよらない事が沢山起こりました。

 今、クリスチャン・ミュージシャンたちよ集まれ!Japanese Hymnをワールドワイドに発信するぞ! と声をかけて、日本全国からホントに集まってくるとなれば、何か面白いことが起きると思いませんか? かつて『UNITY!…』の企画を立ち上げた時に起こったことが再び、もっと大規模に起これば良いなと私は願っています。だからこそ、それを統括・指揮できる(だろう)日本讃美歌学会の働きに期待します。

 謝辞

 “ミヤザキブラザーズ”のThe Hymn Society Annual Conference 2017への参加を強力に後押して下さったトロント大学のスイホン・リム先生と、通訳をして下さった尾尻早弥(Saya Ojiri)さん、「Sakura Saku - Jesus makes no answer」の英語詞を校正して下さった立教大学のScott Shaw先生には特別の感謝を述べさせていただきます。特にMs.Sayaは私達の現地での移動の手配など全てを準備してくれて、彼女の働きなしにはこの旅は実現しなかったでしょう。有難うございました。

 

 

 


 


 

 

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